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口の悪すぎる経済学者、N氏

私は大学院でマーケティングと広告を専攻していて、先学期にとった講義の中に、行動経済学(Behavioral Economics)の授業があった。その担当だったのがタイトルに書いた教授N氏だ。

このN氏が大学の教授としてはだいぶ型破りな人物で、しかし同時に、日本での学部課程がアート専攻だった私にとって、アカデミアでPhDをとる人の知性の高さ、研究や分析を論じる際に目指すべき水準の高さをきちんと教えてくれたのは他でもないN氏だった。

私たちの学科では行動経済学を教えていたが、厳密にはN氏の専門分野は環境経済学(Environmental Economics)のほうらしい。学期が始まって最初の授業で「いまは灌漑について実地研究を行っている」と自己紹介のパワポスライドで灌漑の写真が全面に出てきたときのなんとも言えない気持ち(というかとるべきリアクションがわからない)は今でもよく覚えている。

どう見ても水たまりにしか見えなかった。たぶんその写真が下手すぎたのだと思う。最初の授業の後、クラスメイトと「なんであの先生、わざわざirrigation(灌漑)の写真入れたんだろうね」という話までした。

そんなN氏が、学期が始まる数日前に「これを読んでおくように。このクラスで提出する論文はここに書いてあるレベルに準拠して評価する」とクラスに配布したのは、「研究論文とはこうあるべき」と徹底して定義している、それまで私たちが読んできたものと比べるとかなり文量のある論文だった。

余談だけれど、クラスの大半が非英語ネイティブであった私の学科では、それまでN氏以外の教授たちはあまり大量のリーディングや基準の厳しいライティング課題などは課してこなかった。(それもどうかと思うけどね)

新学期開始前から出されたこの課題に加えて、初回の授業では、適切な英語がちゃんとした文法で使われていない論文は容赦なく減点する、授業内での発言の有無も記録し評価点に加える、論旨が矛盾していたり根拠が不十分なものについては評価を厳しくつけるという旨をはっきりと宣言された。citation(文献引用)の厳密な仕様については言わずもがなだった。

この宣言に、非英語ネイティブの学生を中心に私のクラスは戦々恐々とした。私ももちろん例外ではなかった。しかも、この学問分野特有の専門用語がたくさん出てきて、それを正確に使うことを求められていそうな予感がした。(実際、日常生活ではあまり使わなさそうな単語をたくさん覚えた。でも人間の行動原理を理解することができて非常に有益だった)

いまよりもっと英語ができなかった高校時代に留学した時の経験から「これは最初に先生にひとこと挨拶しておいて、顔くらいは認識してもらっといたほうがいいだろう」と思い、授業後にN氏のところへ行って軽く話をした。

自分が日本人であること。自分の日本語の癖で、理由や経緯を先に話し結論を最後に言う傾向があること。授業内での討論や論文では、まず結論を述べてそれから論拠を並べるというセオリーはわかっている。しかしついその日本語の癖が出てしまうことがあり、私が話している最中は「こいつは何が言いたいんだ?」と困惑させてしまうことがあるかもしれない。だけど結論を最後に言うその癖も改善しようとしているのでどうか理解してほしい。といったことなどなど。

私がN氏と関わっていく中で彼についてすごいなと思ったことがいくつかあり、その中のひとつに『本当の意味で』多文化を理解しているということがある。(エピソードは色々あるのでそのうち書いていきたい)

彼は私の言わんとしていることをすぐに把握してくれて、「そうか、わかった。まぁ癖を直そうとしているんならいいんじゃない」とフレンドリーに受け止めてくれた。

それに加えて、「俺なんて英語が第一言語だけど、ニューヨーク育ちで口が悪くて、学会で発表した時に『言葉が汚すぎる(You swear too much.)』って怒られたからね!」と堂々と言うので思わず

「えっ、学会の発表でswear wordを使ったの!?(笑)」と聞き返した。

N氏は悪びれもせず「そうだよ」と言っていた。推測だけれど、おそらくその話で彼は「母国語が違うことを過剰に気にしなくていい」ということを伝えたかったのではないかなと思っている。

後々、グループ課題でそれぞれのチームが書いたリサーチペーパーはかなりえげつなく添削され、英語ネイティブがいないチームは「不公平だ!」と言いながらだいぶ苦労させられていたので、その私の推測は間違っているかもしれないけども(笑)

こうして書いていると彼にまつわるいろいろなエピソードを思い出し、N氏に会いたいなぁとつくづく思う。

彼は今学期は大学におらず、アワードをもらってMontanaとNew Mexicoにリサーチに行っているらしい。研究概要を見ると、マッピングテクノロジーを使った、干ばつと人間の土地活用に関する研究のようなので、私は彼が相変わらず灌漑の写真を撮っている光景を想像する。

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