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「マーケティング」にあたる日本語はあるのか?

先日、ボストン在住の日本人の方々とお会いする機会があり、様々な業種・専門分野のお話を聞かせてもらって非常に有意義な時間を過ごした。その中でわたしは「大学院でマーケティングと広告を専攻しています」と自己紹介し、話の流れで「マーケティングに関して、日本とアメリカで違うと思ったところは何?」という質問をいただいた。なんとなく感じてはいるけど明確に言語化したことがなかったなーと思いつつ、わたし個人の観測範囲から見えるものをお答えした。

アメリカでわたしが学んだマーケティングの思考回路は、まず消費者の問題を発見するために調査をするところから始まる。消費者は生活の中でどんなことが良くなってほしいと思っているか?何が必要とされているのか?(これは明確に認識されていない潜在意識の場合もある) 既存の製品やサービスの場合は、どんなところに不便を感じているのか?といったことを、様々な手法でリサーチする。

そこから、その問題に対しての解決策を考える。この解決策も、ダイレクトに問題に取っ組み合うものとは限らない。例をあげれば、雨の日に外に出なければならない(←これが課題)人に、解決策として傘を提供するのか、それとも傘をささなくてもいいように車などの移動手段を提供するのか、そもそも外に出なくて済むように家の中で目的の用事が済ませられる方法を提供するのか、といった感じだろうか。

提案できる解決策が決まったら、それをどのようにターゲットとなる消費者・顧客に訴えていくかを考える。これも現代ではすでに「安い!」「これがベスト!」「他社よりすごい!」とダイレクトに押し付けていくコミュニケーション方法に対しては消費者は食傷気味と考えられているので、情報が溢れているいま、効果的で創造的なコミュニケーションに知恵を絞る必要があるとわたしは考えている。

こうした考え方に対して、日本では依然として「つくりて先行」の考え方のようにわたしは感じる。「ものづくり」「技術」で身を立てた国であるためなのか、消費者のニーズというよりは製品を作る側の技術追求が先行し、既存の製品と比べて「さらに機能が増えました!」「さらに小さくなりました!」といった、つくりてがアピールしたいものが製品開発の中心、コミュニケーションの中心にあるのではという印象をもつ。

先の雨降りと傘の例で言えば、傘というアイテムがすでにあるところに「さらにすごい傘できました!」というのを延々とやっている感じだろうか…。どんなにいい傘があっても、そもそも雨の日に靴や服を濡らしながら外出するのがつらいので、わたしとしては外出せずに目的が達成できる方が嬉しい。もちろん雨の日にお出かけするのが好きという人もいるし、デザインが好みの傘だったらわたしも持っていて楽しいかもと思うけども。

そのような、考え方の道筋の違いについてお話した。その流れから、日本で「マーケティング」という言葉がそのままカタカナ語で使われていることが、マーケティングの概念のあやふやさにつながっているのでは?という話題になった。

マーケティングって何なの?という質問もたまに受けるので、そういう時わたしは「消費者が何を求めているのかをリサーチして、それに対しての解決策を提案し、その魅力をアピールするコミュニケーションを考えること」と説明している。しかしわたしもここまで説明できるようになったのはマーケティングを勉強し始めてからだし、日本語の中で「マーケティング」とカタカナ語で使っていると、なかなかそこまでの感覚はすぐにはつかめないと思う。そもそも英語圏でもmarketingの定義は人によってかなり揺らぎがあるようだ。1900年ごろから出始めた単語のようなので、比較的新しいのかな。

お話ししていた方のひとりが「自分は『市場調査』だと思う」と言ってくださった。たしかに英語でも「市場(いちば・しじょう)」を表すmarketにingがついているので、市場、より仔細に言えば市場を構成している消費者に関連した仕事であるという感覚があってしかるべきだと思った。

それでも「市場調査」はマーケティングの一部だと思うので、何かいい表現はないかなぁと考えている。マーケティングに該当するうまい日本語が出てくるか、「マーケティング」というカタカナ語がちゃんと日本社会に浸透するパターンでも全く構わない。その頃には、日本で消費者ニーズ先行の考え方も浸透しているだろうか。

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