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5歳児🚺の母。 場面緘黙症だった保育園〜小学校卒業までの日々を綴っていきます。

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5歳児🚺の母。 場面緘黙症だった保育園〜小学校卒業までの日々を綴っていきます。

最近の記事

マラソン大会

最近季節の変わり目に、恒例の咳(アレルギー的なもの)を発症してしまい、職場で50代女性にあからさまに避けられるようになり(挨拶しても無視とか)私のデスクの前にはクリアボードの壁が置かれる(コロナ後、飲食店のテーブルなどに設置されるようになったアレです。)という扱いを受けました😂 咳を避けたい気持ちは分かりますが、コロナ時代とはいえ、世知辛い世の中です😂😂 そんなエピソードはさておき、場面緘黙症時代の話に入りたいと思います。 私は、小2までは勉強も運動もわりとできる子供で

    • 私がnoteを始めた理由

      noteを始めてから、場面緘黙症だった幼少期の頃のお話を綴ってきましたが、 今回は、なぜ私が場面緘黙症のことをnoteに書いていこうと思ったのかについてお話ししようと思います。 それは、娘を保育園に預けようと、手続きなどせっせと進めていた時に、ふと、娘も私と同じで場面緘黙症だったらどうしよう。。と漠然と不安になりました。 場面緘黙症によって数々の辛い思いを自分が経験してきたからこそ、娘には同じ思いをさせたくない。 私は、初めて夫に自分は場面緘黙症児だったから娘も保育園で

      • 歌のテスト

        小学1年生の2学期、音楽の授業で歌のテストがありました。歌う曲は「小さな木の実」。 タイトルが思い出せなくて、なんだったっけな〜と思っていたら、 最近の「おかあさんといっしょ」に出てきました。 なつかしい〜と同時に、自分の娘もこの歌を知る日が来るなんて。なんとも感慨深い、とある朝でした。 緘黙でしたが歌うことは大好きだった私。 クラスの皆んなと一緒だから、どうせ私の声は聴こえてないだろうと、音楽の授業では普通に歌っていました。 テストは、黒板の前で4〜5人ずつグループに分

        • 小1作文テーマ「友達」

          国語の授業で、「友達」をテーマにした作文を書くことになりました。 友達と言ってしまって良いのか迷いましたが、 私は普段、とても優しくしてくれる同じクラスのAさんやUさんという女の子の事を書きました。 私から喋ることはできませんでしたが、そこを理解しつつ、一緒に遊んだり、帰ってくれたりしてくれた子達。 こんなことして楽しかった、とても嬉しかった、みたいな内容です。 T先生に提出し、何日か後にその作文が返される日に、 T先生が、「Kちゃん(私)の作文がとても良かったから皆

        マラソン大会

          招待給食。

          私の小学校では1年生を他の学年の生徒が自分のクラスに招待して1日だけ一緒に給食を食べる。というイベントがありました。 イベントの何日か前に、招待してくれる先輩達から招待状が届きます。 出席番号の早い順から2年生→3年生→…と招待される学年が決まっているので、出席番号が後ろの子達は高学年クラスに招待されます。 私は出席番号が早かったので2年生の先輩達の班から招待状をもらいました。(1つの班につき、4,5人いてその中に1年生が1人入ります。) 当日の午前中の授業の間、給食

          招待給食。

          帰りの会で。

          小1の頃、クラスに1人私に対してちょっとした意地悪をしてくる女の子がいました。Sさんとします。 言葉は覚えてないのですが、やたら冷たいことをつっけんどんに言ってくるイメージ。とにかく私はSさんが苦手でした。 そんなSさんに対しての見方が180度変わった出来事がありました。 帰りの会での事です。 帰りの会ではクラスでその日あった良い事、係からの連絡事項、クラスみんなに言いたい事とか、何個か項目があったと思うのですが、 みんなに言いたい事の時に、その当時私の前に座っていたS

          帰りの会で。

          初めての登校拒否。

          小1の夏休みが明けてしばらくした頃、私は猛烈に学校に行きたくなくて、 朝、母親に「お腹が痛い」と言いました。 最初は学校に行くように促していた母も、私が何度も「お腹痛い」と訴えるうちに、 「しょうがない。」と休ませてくれました。 (本当にお腹が痛かったわけではありませんが、そうなるといいなと思ううちに痛いような、痛くないような、そんな感じでした。) やったー!と心の中ではガッツポーズしてましたが、 実は元気ってことを母にバレないように、なんとなーく具合悪そうにしてました。(

          初めての登校拒否。

          小学1年生1学期。

          小学校入学式の日、出席番号順で座った席は廊下側の前から2番目でした。 周りは知らない子ばかり。自分が喋らない子、と気づかれるのは時間の問題でしたが、なるべくそれが発覚するのを先延ばししたい。。 「おともだちになろう。」と声をかけてくれる子もいました。 嬉しいけれど、心の中では(私、喋らないのに。私なんかと友達になってもつまらないよ…。) そう思って、何も答えられないでいると、サッとその子は行ってしまいました。 申し訳ない気持ちと、どうにもできない気持ちでいっぱいでした

          小学1年生1学期。

          卒園式と小学校入学

          待ちに待った保育園卒園式。 やらなければいけないことは一つ。 卒園証書授与の際、名前を呼ばれ「はい」と返事をすること。 私は決められたことはできるタイプ。なので、予行練習でもちゃんと返事をし、本番も無事に終わりました。 大嫌いな保育園を卒業できて本当に嬉しかった。 場面緘黙症でもそれなりに小学校入学を楽しみにしていたと思います。 この頃はまだ幼くて、小学校に入ったら新しい自分になって、クラスメイトと話せるようになるぞ!自分を変えるぞ!という気持ちはなかったですが。

          卒園式と小学校入学

          名前を発表する話。

          もうすぐ卒園という時期だったと思います。 私はA先生に何かを聞かれ、言葉を発したのをきっかけに(これもやっとの思いで答えたのですが。) 「声、出せたね。じゃあ今からお友達のお名前を皆んなの前で言っていこうか!」 と、突然提案されました。 そして、皆んなが座っている前で私はひとり、先生の横に立たされ、 A先生「Kちゃんが、声だせるようになったから今から皆んなのお名前をKちゃんが言っていきます!」 と、皆んなが私に注目します。 私はとてつもなく緊張していましたが、やるし

          名前を発表する話。

          運動会でのかけっこ競争。

          私は保育園以外ではとても活発な子でした。 次女、ということもあり姉の様子を観察して次々に色んな遊びを習得していきました。(鉄棒、縄跳び、自転車…など。) 公園では近所の子達(年齢、性別バラバラ)とたくさん遊び、そこに初めましての子が来ると、「いっしょにあそぼうよ!」と次々お友達になっていきました。 保育園で過ごす自分とは全く違う性格の自分がそこにいました。 日頃から家の近所で走り回っていたせいか?小さい頃は足が速く、自分がクラスの子達より足が速いんだと自覚したのは保育園

          運動会でのかけっこ競争。

          母の苦悩。

          ところで、母は私をどのような子供だと捉えていたのか。 幼児期、私は病院で先生に果物の絵を見せられ、 病院の先生「これは、なぁに?」 私「りんご」 というふうにいくつか答えていった記憶があります。 これは、発達障害の検査だったんですかね。 私は保育園で喋れないだけで、他の場所では普通にべらべら喋っていたし、運動も活発にしていました。 なので、病院の先生の問いには何の問題も無く答えていました。 どう診断されたかはわかりませんが、特に何かの障害があると診断されてはないはず

          母の苦悩。

          涙の給食。

          ある日の給食、私の大っ嫌いな卵豆腐が出ました。 ひとくち口に入れてみても味がしない、むにゅんとした塊にウェッ。となってしまいます。(味覚には個人差があります。) とうとう食べられないまま給食の時間が終わり、残したまま片付けられるのかと思いきや、 「たべるまでおわらないから」 と、A先生に言われ地獄の時間が始まります。 私の前にはひとくちしか減っていない長方形の卵豆腐がドーンと鎮座してます。 クラスの子達が遊び始めている中、教室で1人だけ椅子に座り卵豆腐とにらめっこし

          涙の給食。

          憧れのAちゃんの話。

          保育園には意地悪な子もいましたが、それ以上に優しい子もいました。 その中でも、Aちゃんはとても優しい子でした。 私は、母の勤務先の託児所では思い通りに喋れる好きな場所だったのに対し、保育園は休みがちでした。 保育園を何日か休んで久しぶりに登園した日、なぜかお遊戯会でお遊戯を披露するメンバーに選ばれていました。(今の時代は大体全員が一緒にステージに上がりますよね。) 私は子供の頃、歌や踊りが大好きだったので、喋れなくてもこういうジャンルのものは保育園でも楽しく参加していま

          憧れのAちゃんの話。

          隣のおうちのおばあちゃん。

          とにかく保育園が大嫌いだった私。 毎朝、着替える時にグズグズ泣いては服が気に入らないとか色んな理由をつけてなんとか保育園に行くのを避けたい一心でした。 幸い、母親が看護師をしていた託児所にも預かってもらえていたので、保育園:託児所→6:4くらいの割合で通っていたと思います。託児所ではなぜか私は自由に話す事ができたので好きな場所でした。 その日はどうしても保育園に連れて行かれる日で、絶対行きたくなくて、家を出た瞬間、となりのおばあちゃん(親戚でもなんでもなく、ただのお隣さん

          隣のおうちのおばあちゃん。

          お世話好きMちゃんの話。

          保育園では毎月お誕生日月の子を一斉にお祝いするお誕生日会がありました。 誕生日会では自分の名前を発表しなければなりません。 私にとっては最大級に避けたいイベントです。 年長だったと思います。 クラスの中で世話好きの女の子Mちゃんが園庭で皆んなが遊んでる時、私を手招きして呼び寄せ、 「kちゃん(私の名前)、こんどたんじょうびかいだよね?じぶんのなまえゆうのれんしゅうしたら?」 私は、ぽかん😦でした。 なんでこの子の前で練習しなきゃいけないの? 余計なお世話だな。。 Mち

          お世話好きMちゃんの話。