見出し画像

マラソン大会

最近季節の変わり目に、恒例の咳(アレルギー的なもの)を発症してしまい、職場で50代女性にあからさまに避けられるようになり(挨拶しても無視とか)私のデスクの前にはクリアボードの壁が置かれる(コロナ後、飲食店のテーブルなどに設置されるようになったアレです。)という扱いを受けました😂

咳を避けたい気持ちは分かりますが、コロナ時代とはいえ、世知辛い世の中です😂😂

そんなエピソードはさておき、場面緘黙症時代の話に入りたいと思います。

私は、小2までは勉強も運動もわりとできる子供でした。
小3の割り算をきっかけに勉強が全くできない、というか嫌いになってしまいました。(この話に関しては今後詳しく書きます。)

小学校では秋から冬にかけて運動会、縄跳び大会、マラソン大会と様々な大会がありました。

場面緘黙症児で学校ではほぼ話せませんでしたが、かけっこは負けず嫌い精神で、
小1の運動会では50m走1位、紅白対抗のリレー選手にも選ばれたくらい、低学年までは足の速さに自信がありました。(3年生以降は全然平凡、運動で秀でる能力は無くなっていきましたが。)

その中で、小1のマラソン大会はスタートからゴールまで最も記憶に残っています。

校庭のグランドを3〜4周走るくらいの走距離だったと思います。
それまで集団でマラソン競争をしたことがなかったのですが、ラスト1周に差し掛かったころ、私は先頭を走っていました。

「え?、まずい、先頭にきちゃった、どうしよう。」と思った瞬間、トラックの内側から走る様子を見ていた担任のT先生が、
「Kちゃん!もっと早く走れ‼︎」
と私に向かって叫んできました。

先生は応援のつもりだったと思うのですが、私は「注目されてしまった、恥ずかしい。」とペースを落としました。
すると横から他のクラスの女の子2人が私を抜き去っていきました。(この2人も足が速いで有名な子達でした。)

恥ずかしさもありましたが、ペース配分も分からず走り出したのでスタミナ切れもあったと思います。私は3位でゴールしました。

4位は同じクラスの「肉屋の看板娘!」と先生に可愛がられていた、実家がお肉屋さんのi.mちゃんでした。

i.mちゃんと前後に並んで学年の全員が走り終わるまでゴール地点で座って待っている間、
「Tせんせいにさぁ、あんな早く走れって言われても無理だよねぇ😩」
と私に話しかけてくれました。
私はT先生にもっと早く走れと言われた時に他の子に抜かされたので、言われた通り走れなかったなぁ、、と気にしていました。

でも、i.mちゃんがそんなふうに私に話しかけてくれて
共感してくれたこと。 

(やっぱり疲れちゃうし、先生の期待に答えられなくても気にしなくていいんだ!)

と、i.mちゃんと同志のような気持ちで嬉しくて、
声が出せないかわりに精一杯、
(うん!)と頷きました。

T先生からの応援に応えられなかったという、どんよりした気持ちが、i.mちゃんからの一言でカラッと吹き飛んだ出来事でした。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?