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私がnoteを始めた理由

noteを始めてから、場面緘黙症だった幼少期の頃のお話を綴ってきましたが、
今回は、なぜ私が場面緘黙症のことをnoteに書いていこうと思ったのかについてお話ししようと思います。

それは、娘を保育園に預けようと、手続きなどせっせと進めていた時に、ふと、娘も私と同じで場面緘黙症だったらどうしよう。。と漠然と不安になりました。

場面緘黙症によって数々の辛い思いを自分が経験してきたからこそ、娘には同じ思いをさせたくない。

私は、初めて夫に自分は場面緘黙症児だったから娘も保育園で話さない可能性もあるかもしれない、不安だ。ということを、ある日、お昼時のスシローで話しました。

誰にも打ち明けた事のない場面緘黙症だった過去の話をするのも初めてでした。

手短に、保育園、小学校では話せなかったとかnoteに現在書いているようなエピソードを少しだけ話しました。

で、それを聞いた夫はなんか理解できてないような感じでした🤷‍♀️
「よくそんな保育園の話覚えてるね〜、俺そんな小さい頃の記憶なんて全然ねーなぁ。」って感じでした。夫は場面緘黙症という症状があることも全く知りませんでした。

はぁ?🙎‍♀️
ーやっぱ話さなきゃ良かった。
そして、夫にあまり理解してもらえなかったのが
悔しかったのか、
自分でもよくわからない感情なのですが、
なぜか涙が出てきました。
スシローで…‼︎‼︎

で、数日後、たまたま職場で一緒に働いていた女の子(20歳)に、なんだか話の流れで
私→「私の夫って保育園とか小学校の頃のこと全然覚えてないんだって。そんなことある?」
20歳女子→「旦那さんはきっと何も悩むことなく楽しく過ごしたからあんまり覚えてないんでしょうね。」

って言われて(この子は5人兄弟の長女というのも納得の落ち着いた子でした。)

なるぼどねぇ〜と思いました。
そういう人(幼少期の記憶があんまりない人)もいるんだ、と。
そもそも場面緘黙症の子って小学校に入ってから学年に私を含め2人いたぐらいで、他の学年にはいなかったりするし、そういう子に出会わなければ、理解もできないし、ましてや共感なんてできないですよね。

だったら夫に話して消化しきれなかったこのモヤモヤな気持ちの行き場を、noteで公開したらきっと共感してくれる方もいるんじゃないかと思い、始めたのです。

最初はドキドキしましたが、今ではnoteに公開して本当に良かったと思っています。

自分の辛かった過去を、ふとした時に頭の中でぐるぐると考えてしまい、だから私なんて。。と、どんどん殻に閉じこもっていくような感覚に陥ることが度々あったのですが、
アウトプットするとそんな過去の出来事が浄化されていく気がして、あの頃の自分に今は辛くて出口が見えないけれど、大人になっていくにつれその経験が糧になるからね。と言ってあげたいです。

辛いことを経験したからこそ、人の気持ちを理解しようと考えるし、(考えすぎてしまい、それはそれで頭が重くなることもありますが。。)それが社会性を築いていく根っこになっていると思います。

いま場面緘黙症で悩んでいる方に大それたことは決していえないですが、経験値を積んでると私は思っています。


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