崩壊
人には個性がある。
その個性は、自分をどう表現するかで人に伝わり、自分という人間を知ってもらえる。その表現方法は様々あるが、その根本には、自分の思いや感情が元にある。
感情の表現の仕方もたくさんあり、僕は、ここにも個性があると思っています。
・自分の思ったことをすぐに言ってしまう
・頭で一度考えて言う
・考えすぎてしまい、何も言えなくなって、後であの時、実は…と言ってしまう
もっと表現方法があると思うけど、それだけ自分の感情表現の仕方には、個性がある。
僕が今回の出来事で会った人たちは、一般の人が考えていることの何十倍もいろんなことを考えていた。
たぶん、あの時にもいろんな感情が生み出されていたと思う。
それを言葉や何かで表現できたらいいけど、それをしてこれなかった人達も実は多い。
それは表に見えない。
そして、頭の中で思考し、あーでもない、こーでもない…とイメージだけが膨れ上がっていったと思う。
こうなることで、何が起きるか?
それは、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまうこと。
たくさんの感情に埋め尽くされ、自分の本当の気持ちが、自分でもわからなくなってしまう… そんな時、人はある心理作用が働くことがある。
心理的逆転という心理作用。
そして、その時の自分の感情に左右され、ある感情の時の自分が表れる。これが乖離性障がい。
本来の自分とは本当は一つ。
いろんな感情を抑えることで、それらの感情が蓄積されていく。
そして、一つひとつの感情も増幅していく。
その溜まった感情は、いつか爆発する…
僕は、以前よりは、この患者さんに信頼してもらえるようにはなったと思うが、それと同時に、自分を素直に表現し始めた彼らの行動に、苦しめられ始めた…
(密室の空間)
僕の治療院には、僕しかいない。一人で治療院に来る患者さんの対応をしている。ひとり事業主だ。
第3者の僕だから、他に誰もいない場だから、自分の思っていることを何でも言いやすいということもあるようだ。
実は、人には、家族にも友達にも言えないこともある。関係ない第3者の僕だから言える話もある。だから、患者さんが、僕にいろんな話をすることも多い。
しかし、実は、これが感情や精神、そして肉体の為にも大切なこと。
たしかに、そういう場ではあった。しかし、彼らは、より自由に自分を表現するようになっていった。ある意味、僕を受け入れてくれたのかもしれない。
それは良かったと思っていた。
しかし、ある時、ある行動に驚かされることがあった。
治療院内に、開業時に患者さんからプレゼントされた観葉植物がある。
ある時、その観葉植物の枝を切っている、奥さんを見かけた。
僕「何をしているんですか?」
奥さん「この枝いらないと思ったから」
僕は、「あっ、そうなんですか…」としか言えなかった…
これが最初にわかった奥さんの変化だった。
そして、毎日一人では歩くことも大変な旦那さんの介護に疲れ果てていた奥さんは、治療院でも怒りをあらわにすることが多くなっていった。
「コノヤロー!」
「お前が...!」
実際に旦那さんに手を出すことも多くなった…
ある時、発狂して、ガラスのコップを床にたたきつけたことがあった。そしてここでは、書けないが大変なことも起きそうになった…
いくつもの感情の自分が出てくる。
僕の治療院は、無法地帯になっていった。
密室で何かが起きるのは、こういうことなのか…
と、その時思った。
彼らが帰ったあと、割れたコップのガラスを拾いながら、このままではマズイと思いながらも、まだ自分の責任と使命感が残っていた…
つづく…
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