真鍋希代嗣|京大

京大 准教授←起業挫折←マッキンゼー←国際機関←米国の大学院←ベトナムでラーメン屋←J…

真鍋希代嗣|京大

京大 准教授←起業挫折←マッキンゼー←国際機関←米国の大学院←ベトナムでラーメン屋←JICAイラク←PwC(外資コンサル)←キャバクラ…一見、支離滅裂な人生の経験をもとに、仕事やキャリアで悩まれる方々に有益な何かをご提供できれば幸いです。 https://x.gd/f24Ml

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やりたいこともまた仮説である

これは私が悩み続けてきた問いです。 やりたいことを見つけようという風潮がありますが、若いうちはやりたいことなんてわからなくて当然です。大人になってもよくわかりません。 私は大学で理系から文系に転じて、仕事も経営コンサル、途上国開発、ラーメン屋、大学教員と、何度も変えています。 周りからは全く違う畑を転々としているように見えますが、自分の中では問題意識にもとづき、やるべきことを模索し、計画的・主体的に選択し続けた結果であり、すべてが連続しています。 私が何かを成し遂げた

    • 進路選択に迷ったら: 国連に行くか起業か選べと言われて

      将来やりたいことがいくつかあり、どれを選ぶか悩んだことがあります。いま振り返ると、もっと柔軟に考えられたのではないかと思います。 同じように進路選択に悩む方のために、キャリアに対する一つの見方を共有できればと思います。 国連に行くか起業か選べと言われて文系の大学院生として就活に苦労しつつもなんとかコンサルティングファームに入社した4月。人事部との面談でキャリアプランを聞かれました。 改めて将来の目標を問われ、頭に浮かんだことがついそのまま口に出してしまいました。 どち

      • 自分の強みをどう伸ばすか:凡人のための戦略的自己成長論

        私のことをエリートと勘違いする方がいますが、九州の片田舎の公立中学校で内申点がオール3、高校で英検2級に落ち、大学のTOEICは400点というザ・凡人です。 アメリカのトップスクールや国際機関を目指すことになったのは大人になってからで、戦略的にならざるをえない状況でした。ライバルはみな中学生の頃から偏差値表のトップにいるような人たちや帰国子女ばかりでした。 戦略的な成長とは、自分の全ての能力を伸ばせない中で、どこかを優先的に伸ばすという問題です。例えば周りが英語をがんばる

        • 仕事につながる人脈をつくるいくつかのコツ:国連の就活の経験から

          世界銀行の元同僚から「ネットワーキングの天才」と呼ばれたことがあります。ネットワークとは、交友関係、人脈、あるいはコネを指します。 元同僚がそう言った理由は、彼女が東京の企業からワシントンD.C.の世界銀行に転職する際、3人から別々に「D.C.に行くなら真鍋を紹介するよ」と言われたからだそうです。 国際機関では、求人情報の大半が知り合いやその知り合いで決まってしまうほど、人とのつながりが重要です。私は多くの人と上手につながっていたので、彼女は「ネットワーキングの天才」と冗

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        記事

          人は4つの資本を組み替えながら成長していく

          どのように成長すべきか。何に時間を優先すべきか。この問いに正解はありませんが、わたしの経験と考察から一つの視点を提示してみたいと思います。 私が何かの成功例ということではないですが、大学院に2度、語学留学に7度も行くなど、それなりに自分自身に時間とお金を投資してきました。本稿は成長について人一倍悩んだ経験からの学びと反省です。 学業、就活、付き合い…時間配分に苦心した社会人留学私は33歳で仕事を辞め、アメリカの大学院に留学しました。学校の授業や宿題だけでなく、インターンシ

          人は4つの資本を組み替えながら成長していく

          イラクで働くということ

          ■国際問題に興味を持ったきっかけ 大学では物理学を専攻しており、将来は海外の研究機関で仕事をしたいと考えて英語の勉強にも力をいれていました。長期休暇を使っては海外で英語の勉強をしていて、中国やカンボジアなどの途上国の方々と話をする機会にも恵まれ、彼らとの環境の違いを理解するようになりました。 途上国で暮らす人々には、本人がどれだけ頑張っても変えられない現状があるということを知り、ショックを受けました。それまでは人生は自分の努力によって切り開けると思っていたのですが、それよ

          イラクで働くということ

          日本人にもっとクリティカルシンキングを

          友人に誘われて、社会人向けの勉強会に足を運びました。実際に参加してみてすぐに気づいたのは、それは情報弱者の方々をターゲットとしたセミナーでした。テーマに関する具体的な内容は非常に薄く、根拠の曖昧な精神論のような話が続き、私はうんざりしてしまいました。 驚いたのは、多くの参加者が、その怪しげなセミナーの主催者が提供する有料プログラムにその場で入会をされていたことです。セミナー後の懇親会で彼らと話す機会がありましたが、盲目的にセミナーの内容を信じられている印象でした。そこそこの

          日本人にもっとクリティカルシンキングを

          20年後に稼ぐ人はどこにいるか

          先月、趣味のキックボクシングで試合に出てアマチュア4勝目を挙げました。私はアマチュアなので数千円の参加費を払って出場していますが、プロの方々はファイトマネーをもらう側であります。いくらぐらいかご存知でしょうか?イベントや試合の注目度によって異なりますが、1試合数万円から数十万円が相場です。 日本のプロボクサーの収入(副業などを除き、ボクサーとして得ている対価)は、キックでなく普通のボクシングですが、日本タイトルレベル、つまり日本で一番の選手になっても100~200万円と言わ

          20年後に稼ぐ人はどこにいるか

          爆弾とマシンガンの音でホテルの窓が揺れ、ついにイスラム国に囲まれたと…

          これは私が講演の中でよく紹介する、私が実際に体験したエピソードです。イラク、ベトナム、アメリカと5年かけて三か国で色々な仕事をしてきたからか、日本に帰国してからはいろいろなところで講演に招かれることが多いです。 今は経営コンサルタントとして仕事をしているのでクライアントにプレゼンテーションをすることも多いのですが、ビジネスシーンで企業や政府のお偉い方々に説明をするのと、高校生や大学生などの若い方々に講演でお話をするのとでは話のアプローチが全く異なると感じます。 ビジネスで

          爆弾とマシンガンの音でホテルの窓が揺れ、ついにイスラム国に囲まれたと…

          無意識をとらえる洞察力

          これまで国際開発とビジネスの狭間のようなところで生きてきましたが、最近はややビジネスよりの仕事をしています。 今コンサルタントとしてある日系企業をクライアントに担当しているプロジェクトは、途上国の人々を対象とする新規サービスのマーケティングです。援助機関ではマクロな統計データばかり扱っていましたが、現在は打って変わって非常にミクロな観察をしています。 最近のマーケティングの世界では、ペルソナマーケティングといって、サービスや商品の典型的なユーザー像を描き、そのライフスタイ

          無意識をとらえる洞察力

          一年半の断酒に学んだ継続のコツは、期間を定め、例外をつくらぬこと

          「宗教上の理由ですか?」 断酒をしていると、たまにこのような冗談を言われます。実際、ラマダンの時期にイラク人の同僚らとともに断酒断食に挑戦したことはありますが、今回はイラクとは何も関係なく、また医者に止められているわけでも、深酒で何かやらかしたわけでもありません。 DCに来る直前のベトナムと日本での1ヶ月間は文字通り毎晩誰かしらと飲んでおりました。それはそれで有意義なのですが、一度飲みに行くとそのまま二次会、三次会…と気づけば4,5時間を平気で使い、また、飲んだあとは仕事

          一年半の断酒に学んだ継続のコツは、期間を定め、例外をつくらぬこと

          それを、夢を叶えるための努力とは言わない

          大学院の夏休みを利用して数日間だけ日本に帰省していました。地元に帰るたびに立ち寄るバーがあります。そこのカウンター席で隣になった、航空会社のパイロットの方から素敵なお話を伺いました。 その方は学生時代からパイロットになることを夢見ていたそうです。日本で旅客機のパイロットになるには主に3つの方法があります。 一つ目は大学卒業時にANAなどの大手航空会社の自社養成パイロットとして採用される方法。給料をもらいながら訓練を受けられるのが魅力ですが狭き門です。 二つ目は大学卒業後

          それを、夢を叶えるための努力とは言わない

          ベトナムで半年間限定で開業したラーメン屋からの学び

          今年の頭、実験的に半年間限定でベトナムのホーチミンで起業しました。小さな飲食店の経営でしたが、この経験を通じて多くを学びました。 面白かったのは、経営者とサラリーマンではお金に関する数字が逆に見えるということです。それまで頂いていたものと支払っていたものが逆転しました。 例えばある飲食店のアルバイトの時給を見て、 と思っていたものが になりました。また、メニューを見て だったのが と考えるようになりました。 ヒト・モノ・カネを経営の三要素と呼びますが、ヒトの確保

          ベトナムで半年間限定で開業したラーメン屋からの学び

          なぜ水が豊富でも水道が制限されるのか:資源の呪いで読み解く社会構造

          1994年、日本では歴史的な水不足により全国各地で渇水が発生しました。私の地元福岡でも計画的な断水が実施されました。 当時小学生だった私は、タンクに貯めた水で歯を磨きながら、断水とは煩わしいものだな、と思ったのを覚えています。 あれから20年が経ち、私は今イラク国内のクルド自治区で仕事をしています。 同自治区の中核都市であるスレイマニヤ市では、各家庭にタンクが常設してあり、水道水はそれに貯められて使われます。水道の利用時間が一日4時間に限られているためです。 私は初め

          なぜ水が豊富でも水道が制限されるのか:資源の呪いで読み解く社会構造

          感性:日常に新鮮を感じられるのなら

          旅行でパリとローマを訪れた。私にとっては10年以上ぶりの日本以外の先進国旅行であった。 学生の時にいくつかの国を旅行して、途上国の方が色々な面で日本とのギャップが大きく面白かった。貧乏学生には物価の安い国の方が気楽であったというのもあったのだろう。途上国ならではの苦労も多いが、それもまた旅の醍醐味として捉えていた。それ以降、旅行はもっぱら途上国であった。 しかし、久しぶりの先進国旅行は思いのほか面白かった。それは、街並が美しいとか、食事が美味しいから、というだけの理由では

          感性:日常に新鮮を感じられるのなら

          日本で防弾チョッキもボディガードもつけずに出歩きました

          日本では「進撃の巨人」という漫画が流行しているそうです。この漫画の中では、人間を襲う謎の巨人たちに人類は追い込まれ、生き残った一部の人間たちが高い壁に囲まれた街の中で生活しています。 これは漫画の中の設定ですが、私は今イラクの首都バグダードでこれと似たような生活を送っています。私が暮らす約10平方kmの安全地帯、通称「グリーンゾーン」は、全体をT-ウォールと呼ばれる高さ5mほどのコンクリートの壁で囲まれています(トップ写真参照)。 壁の外はレッドゾーンと呼ばれ、そこでは巨

          日本で防弾チョッキもボディガードもつけずに出歩きました