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イラクで働くということ

ボーダレスマガジン第一回目は、元JICA専門家(企画調査員)「真鍋希代嗣(まなべきよつぐ)」さんにインタビューを行いました。学生時代に感じた「機会の不平等」をきっかけに、国際開発の道に進むことを決意した真鍋さん。イラクという危険を伴う国で働くことを選んだ理由、そして実際にどのような仕事を行ってきたのかを尋ねてみました。

■国際問題に興味を持ったきっかけ

大学では物理学を専攻しており、将来は海外の研究機関で仕事をしたいと考えて英語の勉強にも力をいれていました。長期休暇を使っては海外で英語の勉強をしていて、中国やカンボジアなどの途上国の方々と話をする機会にも恵まれ、彼らとの環境の違いを理解するようになりました。

途上国で暮らす人々には、本人がどれだけ頑張っても変えられない現状があるということを知り、ショックを受けました。それまでは人生は自分の努力によって切り開けると思っていたのですが、それよりも生まれた国や周りの環境の方が「人生の可能性」に与える影響が大きいということを感じました。

この「機会の不平等」を感じたことが、最初に国際問題に興味を持ったきっかけですね。当時は実際に何か行動を起こしたわけではないのですが、大学四年生で研究室に配属され莫大な予算が物理学の研究に投資されていることを知り、これを使って一体どれだけ自分が社会に影響を残せるのかなと疑問を持ちました。

今では物理学のような基礎科学にも社会的な意義はあると考えていますが、当時は気持ちに整理がつきませんでした。その時に機会の不平等を縮小することを目的にし、かつ海外で仕事ができる国際開発の仕事をしようと決意したのが、大きな転換期でしたね。

■なぜイラクという国で働くことを選んだのですか

やりがいが大きいと感じたのと、その仕事をやり遂げることで自分の自信につながると思ったからです。イラクでの仕事は色々な意味で難易度が高いだろうと思いました。開発ニーズとして求められること、イラクという国で暮らすこと…。

厳しい生活が強いられることはわかっていましたが、それを乗り越えたあとはどこの国でもやっていける自信を持てるだろうと思いました。選択肢としてインドネシアやその他の国も考えましたが、やはりイラクが一番開発ニーズが高く、かつ難しい分やりがいがあるように感じました。

恐怖は勿論ありましたが、もともとこの業界でやっていく上で危険は付き物だと考えていますし、挑戦しないと後悔すると思いました。
最終的には、単純かもしれないですがJICAの募集要項にあった次の一文に惹かれてその直観を信じて決めました。

治安に配慮し、行動制限がある環境での業務となるため、精神面、体力面でのタフさが求められますが、復興の槌音が聞こえるイラクでの開発の仕事はやりがいがあります。

■現地での真鍋さんの生活

二年間の任務の中で、最初の約一年間はイラクの首都バグダットに赴任しました。バグダットの周辺は治安が悪く、仕事をしていても時々爆発音が聞こえるような環境でした。私たち駐在員は外出が禁止されていたので、彼らの日常生活を垣間見る機会にあまり恵まれなかったのは残念です。

事務所と駐在員の寝室が併設された建物が基本的な生活範囲で、週に何回かクライアントであるイラク政府との会議のために防弾チョッキを着て防弾車で外出するという感じでしたね。日本ではテロリズムばかりが注目されるイラクですが、その中で市民は日常生活を持っています。常に危険と隣り合わせだということを彼らは受け入れているように感じました。

二年目の任地はクルド自治区の首都エルビルでした。バグダットに比べると幾分治安も良く、防弾車を使った社用車での移動とはなりますが、現地の人々とランチを楽しむこともできました。そこではイラクの人々の生活に触れることができました。

イスラム教徒の方々はアルコールが禁止されている代わりに、チャイと呼ばれる紅茶をさらに渋くしたようなお茶を食後に楽しむ文化がありました。食後にお茶をしながら何時間もお喋りを楽しんでいましたね。

バグダットでは爆発事件がほぼ毎日発生していたのに対して、クルド自治区での発生は年に1回程度でした。バグダッドに比べればクルド自治区の市民はテロリズムのリスクをほとんど意識せずに生活を送れているようでした。

今は一般の日本人がイラクに入ることは難しいですが、将来治安が正常化したイラクを旅行者として訪れ、自由に歩き回るのは小さな夢です。

■ラマダンの時期に断食をしたとか…?

そうですね。現地の人々がどういう心境で断食を行うのか知りたかったのと、彼らの文化に敬意を示すためにも断食にチャレンジしました。断食は約4週間続き、この期間、日の出から日没までは水一滴飲みません。最初の3日間くらいは大変なことに挑戦してしまったなと思いましたが、1週間も経つと空腹感に関しては慣れてきました。

ただ、イラクでは日の出が午前3時頃でその前に起きて朝食を摂らねばならず、それが大変でしたね。夕方7時頃に日が沈むとモスクからコーランが街中に流れます。アザーンというのですが、それが聞こえると同時に夕食を頂き、できるだけ早く寝ました。

断食はとても良い経験になりました。日本人が断食をしているということ自体が珍しかったらしく、イラク人にとても喜んでもらえました。ともに苦境を乗り越えたことで同僚やクライアントとの絆を深めることができました。

■イラクでどのような仕事をしていたのですか?

JICAの役割は国によって異なりますが、イラクでは比較的ハードインフラへのニーズが高いです。インフラ開発のプロジェクトは数年間のスパンで計画・実施されるので、担当者が入れ替わりで進めていきます。

2003年のイラク復興支援国会合において日本政府は総額50億ドルを超える支援を表明しました。これまでに約5800億円の円借款を供与し、円借款によるインフラ整備のほか、研修や専門家派遣など技術協力を行っています。

その中で私の役割は大きく分きく二つありました。一つはインフラ開発の案件形成と事業監理で、主に電力セクターと水セクターを担当していました。もう一つは技術協力と呼ばれる枠組みで、イラクに外国投資を呼び込むために管轄省庁の能力強化研修を企画しました。それぞれの事業の中でやるべきことの大きな流れはJICAのガイドライン等で定められているのですが、実務的には様々な問題が発生するため、それらのトラブルシューティングに時間をとられましたね。

例えば、あるプロジェクトのコストが当初想定していた予算に収まりきらないということがあり、どこの部分を削減するのか、どういった方法で資金を集めるのか、そういったことをイラク政府と一緒に考えます。

日本政府やJICAは開発事業の資金や技術を提供しますが、実際に事業を進めるのは実施機関であるイラク政府やクルド自治政府です。彼らが、JICAの規定するプロセスに則っているかということを確認し、懸念されるリスクがあれば事前に察知して意見も出します。

国によると思いますが、イラクに関してはJICAはすごく政府や市民から頼られていました。ある自治体との会議の中で「こういう街を作りたいのだけれど支援してもらえないか。」と相談をされた時には、自分はこういう仕事がしたかったのだなと感じました。

■イラクで働く前と後で印象は変わりましたか?
赴任前にネット等で情報を集めていたので、生活面や経済面でのギャップはあまりありませんでした。その他の面で挙げるとすれば、一つ目はイラク政府の方々のマインドですね。

国際NGOの報告書や各種メディアに目を通してイラク政府には腐敗度が高いイメージがあったのですが、実際に働いてみると少なくとも私と一緒に仕事をする方々は真剣に国や国民の将来を良くしたいと思いながら働かれているという印象を持ちました。そういう人たちに希望を感じられながら仕事を出来たことは幸運でした。

二つ目は食事です。赴任前は中東の食事にあまり期待していませんでしたが、イラクの食事はとても美味しかったです。有名なケバブに加え、レーズンやナッツと一緒に炊き込んだご飯の上にビーフを乗せ、パイ生地のようなもので包んだコージーシャム(quzi sham)という料理が好きでした。クルド自治区には外資の外食産業も少しずつ入ってきていました。赴任中、オフィスの近くにKFCが開店したので同僚たちと勢ぞろいで食べに行きました。日本ではまずないことですよね。笑 

■イラクでおすすめの場所

スレイマニヤ(Slaymaniyah)とう都市がすごく好きで、出張に行くのを毎回楽しみにしていました。のどかな街並みで、雰囲気も若干あか抜けていて。スレイマニヤはイラクの人々にとっては避暑地のような場所で、国内旅行者も多かったです。遊園地も見かけましたよ。

他には、エルビルという都市の中心にあるシタデルという城下町には遺跡があり歴史を感じることができました。エルビルからスレイマニヤに行く途中で美しい雪景色を見ましたが、イラクに雪が降るとは知らなかったのでとても印象的でした。

■おすすめの本

「援助する国される国」服部正也

IMFからの要請でルワンダの中央銀行総裁として経済再建を担った服部正也さんの本です。日本でいうと日本銀行の総裁が外国の人ということですよね。そういう仕事ができる日本人がいるということに感銘を受けました。

ちょうどイラクから帰国した後に読んだのですが、共感する部分が多くてイラクの2年間を振り返る良い機会にもなりました。

また服部さんの開発という仕事に対する誠実さが感じられて、読みながら何度も襟を正す思いがしました。服部さんは私のロールモデルの一人です。同じ著者の「ルワンダ中央銀行総裁日記」は有名です。他には小説だと、中学生の時に読んだ三浦綾子さんの「塩狩峠」も好きです。主人公の自己犠牲の信念に子どもながらに影響を受けました。

あと、イラク赴任中に「進撃の巨人」という漫画を友人に教えてもらいました、これを読んだ時はイラクの世界だなと思いました。バグダットでは、各国の大使館やオフィスがあるインターナショナルゾーン(通称グリーンゾーン)の中で生活をしていましたが、ここは政府関係者など一部の人しか入れない地域で、周囲を高いコンクリートの壁と軍隊に守られています。

しかし、そのゾーンから一歩出るとテロのリスクにあう可能性が高くて、でも時々出ないといけない人がいて…。そこがまさに進撃の巨人の世界のような世界でしたね。だからイラク駐在の生活を聞かれたときはよく進撃の巨人の話をします。笑

■社会起業家・国際協力を目指す読者へ
既にやりたいことが見えている人は、途中迷うこともあると思いますが、それに向かってひたすら努力をするのが良いと思います。もし途中で違うなと思ったと方向転換したとしても、それまでその分野での努力があれば新たな分野に行く時に必ず強みになると思います。一つのことを目指すことをリスクだと思わずに、突き進んでほしいです。

逆にやりたいことがまだ見つかっていない人は、可能性として自分の手元にある選択肢の中で面白そうなものを直感で一つ選んで取り組むことをおすすめします。やりたいことを探そうともがくよりも、まずは無理矢理にでも一つ決めてその道で努力をすることで知見が広がって、結果的に自分の関心の対象が明確になる気がします。

たとえば私は学部では物理学の勉強をしていましたが、そのために学んだ英語力や仮説検証のアプローチは今の仕事に確実に活きているし、物理の勉強を続ける中で国際開発への関心も芽生えました。だからどんな分野でも一所懸命真剣に取り組んでいれば必ず自分の糧になると思います。

もう一つ、自分の中で優先順位を明確にもっておくことがすごく大事だと思っています。それが決まっていると迷いが減るし、選択を迫られたときも決断がしやすくなります。自分の優先順位に従って進めば、間違ったことをやっているかもという不安も減ると思います。

真鍋希代嗣(まなべ きよつぐ)
1983年福岡県生まれ。筑波大学第一学群自然学類物理学専攻卒業、東京大学大学院新領域創成科学研究科国際協力学専攻修士課程修了。大学院在籍中、NGOや国連機関等でインターンシップを経験する中で、職業としての途上国開発を志す若者は多くいるものの、多くの人がそれを仕事に結び付けられない現状に問題意識を持ち、国際開発プランニングコンテストidpc(現IDPC)を設立、第一回コンテストの実行委員代表を務めた。外資系コンサルティングファームにて日本企業のアジアやアフリカ市場への進出支援に携わった後、JICA(独立行政法人国際協力機構)の経済・社会基礎インフラ整備の専門家(企画調査員)として2013~2015年の2年間、バグダットのイラク事務所を拠点にインフラ開発に従事。

※この文章はボーダレスジャパン様にインタビューいただき、同社のウェブサイトにて2016年3月に公開された記事を転記したものです。同サイトがリニューアルしたため現在そちらでは記事は読めません。

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