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インドネシア駐在編

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#インドネシア

インドネシア グルメ 2

インドネシア グルメ 2

プンチャック峠の茶店ジャカルタからバンドンに車で行くと、行程の真ん中ほどで、プンチャック峠に差し掛かります。プンチャックとは「頂上」という意味ですからここが一番標高が高いというわけです。標高が高いので朝晩いつも霧が出て、紅茶の栽培の適地になっています。
一休みしてお茶を頼むとガラスのコップに金属の取っ手を嵌め込んだ器に暖かい紅茶が出てきます。驚くのは、飲むと普通の紅茶ですが、その香りが素晴らしく甘

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バリ島 作られた神秘の楽園

バリ島 作られた神秘の楽園

私はインドネシアに7年ほど出向していましたが、世界的に有名なリゾート地、バリ島には数回行きました。
家族旅行で行ったのは1~2回でしたが、出張名目でインドネシアに来て、ついでにバリ島観光というのはよくあるパターンで本社の偉い人やらジャカルタの取引先を招待して行きました。
アテンドする側のポイントは、当時、公的な交通機関があまり無くて、タクシーも当てにならず、レンタカーも一般的でなかったので、いつで

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インドネシア グルメ

インドネシア グルメ


果物の王国インドネシアに赴任して、最初に教えられたのは、「生ものは食べるな!」と云うことでした、勿論、バナナ、パパイヤ、マンゴ、ドリアン、マンゴスチン、ジャックフルーツ、ランブータン、ライチーなどなど無数にある果物は別です。
中でもドリアンは、果物の王様と云われ、最も高価な果物で冷蔵庫でよく冷やして食べるとアイスクリームのような食感で現地ではドリアン中毒になるぐらい入れ込む人も居ました。
ただし

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プンバントゥーの一日

プンバントゥーの一日

プンバントゥー(女中さん)は家族帯同で赴任してきた日本人一家が最初に出会うインドネシア人です。
彼女たちはジャカルタ近郊の農村から出稼ぎに出てきました。
出てきたときは14~15歳ぐらい、まだ何も知りません。
最初は、チュチ(洗濯・掃除係)として、やがて台所で日本人のニョニャ(奥様)の手伝いをしながら日本食の料理法を覚えて、コキ(料理番)に出世します。
何十年もコキをして、若い日本人の奥様より日本

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イスラム社会の中で暮す

イスラム社会の中で暮す

インドネシアは数の上では、世界最多のイスラム教徒が住む国ですが、イスラム教はインドネシアの国教ではありません。日本帝国陸軍が3年ほど軍政を敷いた後、第2次世界大戦の敗戦でインドネシアから撤退するとき、オランダからの独立を望むスカルノ・ハッタ両氏に向かって若い日本軍参謀が忠告しました。

「これから起草するインドネシア憲法の中で、イスラム教を国教にしてはいけません。貴方たち政治家よりイスラム聖職者が

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南海の楽園でイスラム教

南海の楽園でイスラム教

ジャカルタの朝は、町内のイスラム寺院から拡声器で流される「アザーン」で始まります。男声の張りのある高音で朗々と唱えられます。始めは「コーラン(クルアーン)」の一節を朗誦しているのかと思いましたが、「アザーン」は、「コーラン」では無く、礼拝堂に来て朝の礼拝を行うように誘う為のもので、アッラーを褒め称え教徒の義務を果たすように呼びかけます。

ここで、お断りしておきますが、私は「イスラム教(ムスレム)

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インドネシア華僑の悪知恵

インドネシア華僑の悪知恵

最近、ミャンマーで起こった軍事クーデターによって、日本を始め諸外国から資本進出して現地工場を立ち上げた会社は、改めて不安定な政治体制の国に資本進出するリスクを噛み締めていると思います。特にアウン・サン・スーチーが政権に返り咲いて、アジアの中で最も将来性がある投資先として脚光を浴びていた矢先の出来事です。

母国の政府がいざというとき何かしてくれるの?アメリカの企業が理由も無くインドネシア政府に接収

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インドネシア華僑の知恵

インドネシア華僑の知恵

私がジャカルタに赴任して来て驚いたのは、取引先の80%が、中国系インドネシア人の経営する会社だったことです。得意先が100軒あるとすると、80軒が中国系、10軒がインド系、8軒が日系合弁、最後の2軒がプリブミ(ピュア・インドネシアの人)でした。

この2軒も潰れました。

少し黒字になったときに社長がベンツのセダンを買ったのがいけなかったのです。

当時、総人口1億6千万人のこの国で、中国系の人は

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未完の大国:インドネシア

未完の大国:インドネシア

日本帝国陸軍の残したもの。
 私が赴任した37年前のインドネシアは、オランダ東インド会社の植民地として西暦1602年から約340年間支配されたあと、第2次世界大戦による日本軍の3年半に及ぶ占領とオランダ支配からの開放、スカルノ初代大統領による独立の達成、最初、社会主義的な傾向を持って始まり、後に独裁政権化したスカルノ時代を経て、軍部のクーデターによるスハルト軍事政権の成立等々、建国後33年目の若い

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インドネシア プサカ

インドネシア プサカ

突然の痛風発作
この際本音を言ってしまうと、インドネシア合弁会社の営業担当役員の辞令が出た時には、
 
「モスクワの次はジャカルタ!? 何故、ロンドン、パリ、ハンブルグ、ニューヨークじゃ無いんだ?!」と、やや落ち込みました。

 そのストレスの所為なのか、生まれて初めて痛風の発作が起きて歩行不能になりました。
会社に連絡して寝ていると、

 「石井は不貞腐れて、会社に来ていない。」

と言う噂が大

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