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未完の大国:インドネシア

日本帝国陸軍の残したもの。

 私が赴任した37年前のインドネシアは、オランダ東インド会社の植民地として西暦1602年から約340年間支配されたあと、第2次世界大戦による日本軍の3年半に及ぶ占領とオランダ支配からの開放、スカルノ初代大統領による独立の達成、最初、社会主義的な傾向を持って始まり、後に独裁政権化したスカルノ時代を経て、軍部のクーデターによるスハルト軍事政権の成立等々、建国後33年目の若い国でした。

1945年8月、第2次世界大戦に敗北した日本軍がインドネシアから撤退して権力の空白が生じました。
当然、旧宗主国のオランダが乗り込んできます。オランダ軍が驚愕したのは、日本軍政下の3年間でインドネシアにはPETAと呼ばれるインドネシア人による軍隊が出来ていて、日本軍による厳しい訓練と日本軍が放棄した大量の武器を持ち、敗戦後の日本に帰国しなかった数千人の日本帝国陸軍の下士官に率いられて待ち構えていたことです。

独立戦争は、それから4年半続き、1950年8月には、出来たばかりの国際連合の仲裁もあって独立を達成しました。
独立戦争を手伝ってくれた日本人はその後、一部が日本に帰国し、残りはインドネシアに帰化して現地の人たちから感謝されました。私達が赴任してきて日本人に対する暖かい眼差しを感じることがあるとすれば、これら先達の残してくれた遺産のようなものです。

インドネシアは、1万3千600の島からなる群島国家で、横幅はスマトラからイリアンジャヤまで5100kmあって、アメリカ合衆国より巾広く、人口は当時で1億6千万人、今では2億人を越えています。赤道に近く高温多湿で石油など資源に恵まれ、いつか日本を追い抜いて世界第4位の大国になると思われます。(USA,中国、インドの次)
最近テレビで見たジャカルタの町は其の片鱗を見せ始めていて、高層ビルが立ち並び、私の知っているジャカルタは昔の話になっていました。

生活指導員「黒田さん」のこと

ジャカルタに赴任すると、まずインドネシア語の勉強、次にこの国で生活する上で欠かせない注意事項を叩き込まれます。生活指導の先生は、もう日本に帰国する気をすっかりなくした黒田さんと言う先輩で、当社がインドネシアで作った6社の合弁企業のうち、ポリエステル・レーヨン混紡績糸と職布の会社の総務部長をしておられました。
黒田さんは、柔道の達人で請われてインドネシア陸海空3軍と警察の柔道師範もしていました。軍では大佐の資格になっていて、軍の施設や国境警備隊が守る空港等では、どこでも出入り自由です。これは日本から来る要人の出迎えには大威力を発揮していました。
当社の社長が出張してきたときなどは、空港をフリーパスで出てきて、4台の白バイに先導されたリムジンで宿舎のヒルトンホテルまで信号無視の直行と言うような荒業も楽勝でした。(勿論、白バイの警官には、チップが必要でしたが・・・)

オリンピックに出場するこの国の柔道選手団は、黒田さんに引率されて、まず当社の滋賀工場で1ヶ月ほど合宿します。当社の社技は、柔剣道とバレーボールとボートです。滋賀工場の道場には全日本クラスの猛者が揃っていました。その後、開催国に乗り込むのです。
インドネシアで事業を展開する上でこの好関係は、大切にしたいと考えて、ジャカルタのスポーツ施設には、当社から柔道場用の畳が数十枚寄贈されていました。

黒田さんの生活指導要綱

1.この国では、左手は不浄の手なので、人に物を渡すときは、必ず右手で渡す。(確かに、ゴルフ場のキャディーでも、うっかり左手でチップを渡すと受け取らない。右手に持ち替えて渡すと、ニコニコして受け取る。)
2.頭には聖なるものが宿るので、子供の頭を撫ぜてはいけない。まして左手でなぜると大問題になる。
3.運転に自信があっても、自分で運転してはいけない。
(必ず運転手を使うこと。)
この国の掟は「目には目を」なので、貴方が間違って子供を撥ねたりすると、貴方ではなく貴方の子供を殺しに来る。
4.外食するときには、加熱していない料理を食べてはいけない。
アメーバ赤痢などはただの腹痛ぐらいにしか思われてない。
〔確かに、地方に出張して時間が無く、屋台のお蕎麦を食べる羽目になったとき、部下のフセイン課長が
「カラウ パナス ティダ アパアパ!」
(熱くしてあれば、問題ない。) と言ってました。〕
5.朝、靴を履く前に逆さにして良く振るってから履くこと。
中で蠍が寝ていて刺されることがある。
(インドネシアのさそりは、3~4センチぐらいの小型で刺されても死ぬこ   とはありませんが、死ぬほど痛いことは確かです。)
6.商店で又は田舎の観光地で買う気が無いのに値切ってみてはいけない。
(価格交渉に入ったと言うことは、こちらが買うまで放してくれない)
7.プンバンツ(女中さん)を雇うときは会社の総務を通じて雇うこと。
(時々、泥棒の手引きをするものがいる。)
8.家族を呼び寄せて家を借りるときには、その町の町内会長さん(クトゥア・エルテイ)に真っ先に菓子折りと、お金を包んで挨拶に行くこと。
(あらゆるトラブルは、警察ではなく町内会長さんが解決してくれる。)
実は、後にこのことが実際に起きました。泥棒に入られたのです。次回に詳しく述べますが、黒田さんを呼ぶまでも無く、町内会長さんがすべて仕切ってくれました。
9.国民の90%近くはムスリム(回教徒)なので、回教について少し勉強してください。
(単身赴任者寮のウイスマ・ツブットに図書室があって、帰国した人が置いていった本が大量に残されていました。中に岩波書店の文庫本で「コーラン」3部作がありました。)   

それを、読むといくつか謎だったことがわかってきました。

「何故、インドネシアの人は、自分でも知らない道を、外国人には親切に教えるのか?」

そうです、その場には、もう一人重要な人物が絡んでいました。

「アッラー(全能の神)」と言う名の人です。

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