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南海の楽園でイスラム教

ジャカルタの朝は、町内のイスラム寺院から拡声器で流される「アザーン」で始まります。男声の張りのある高音で朗々と唱えられます。始めは「コーラン(クルアーン)」の一節を朗誦しているのかと思いましたが、「アザーン」は、「コーラン」では無く、礼拝堂に来て朝の礼拝を行うように誘う為のもので、アッラーを褒め称え教徒の義務を果たすように呼びかけます。

ここで、お断りしておきますが、私は「イスラム教(ムスレム)」については、専門家でもなんでもないので、私の知識の大半は、岩波文庫の「コーラン3部作・井筒俊彦訳」から学び、ジャカルタ滞在の7年間で感じた「風景」をお伝えするに過ぎません。

「正妻は4人までと決まっていますが・・・」

インドネシアは人口が多く、(その頃は、1億6千万人、現在は、2億7千万人)イスラム教徒の数だけで云えば、世界最大のイスラム教国です。この国の宗教大臣はイスラム世界でも重要人物ということになります。また、イスラム教徒は4人まで妻を持つことが出来ますが、第2婦人以降は、そのとき存在する妻たちと宗教大臣の許可が必要です。

有名な話ですが、その頃の第2代、スハルト大統領は、かなりの恐妻家で、第2婦人の許可を、第1婦人の「イブ・ティン(ティン夫人)」から得られませんでした、そこで美貌の女子大生をひそかにお世話しておりましたが、これが発覚してしまい、イブ・ティンの電話1本で軍隊が出動し、その子の家を戦車で粉砕して更地にしてしまったそうです。つまり第1夫人の権威は揺らぐことはありません。
さらに有名な話ですが、ティン夫人は、いろいろな政府管轄の事業には口を出して、請負業者には、必ず10%の裏金を要求していたようで、別名「イブ・テン%」とも呼ばれていました。

初代大統領のスカルノさんともなると、もう少し堂々としていて、第3夫人は有名なデヴィ夫人です。日本名、根本七保子、私より2ヶ月お姉さんの1940年2月生まれです。
スカルノ大統領は戦後の賠償金交渉で日本にたびたび来ましたが、来るたびに赤坂の高級クラブで接待されました。そこで働いていたデヴィさんを見染めて連れて帰るのですが、政商といわれた東日貿易、当時の岸内閣がバックアップしました。

デヴィさんは、聡明な人で大統領夫人としての素養を短期間で獲得して、末期のスカルノ大統領を支えましたが、首都圏戒厳司令官スハルト中将によるクーデターで失脚しました。
一時的に、フランスに亡命しましたが、スイスには日本の戦後賠償金から流れた巨額のスイス銀行預金が在ったと言われていましたから生活には全く問題ないどころか、英語、フランス語を駆使して欧米の社交界で活躍して、有名な所謂ジェットセットと呼ばれるグループの仲間入りをしました。

その後、インドネシア政府とデヴィ夫人とは和解します。「スカルノ大統領のお墓を守る」ために帰国を許されました。スカルノ大統領はその後、第一夫人の娘さんが大統領候補になるほど圧倒的な人気が死後もありましたから、インドネシア政府も寛容にならざるを得ませんでした。

私が、ジャカルタの高級カラオケバーに行くと、デヴィさんが日本の大手総合商社の支店長と飲んでいるところを見ましたが、勿論私が声をかけることなどありえません。
また、私が「スナヤン」と云うヒルトンホテルの裏にあるゴルフ場に行くと、私の組の一つ前がデヴィ夫人の組でした。キャディーマスターが私の組のキャディーを集めて注意します。

「前の組に、イブ・ヌガラ(国の母)がプレイしているので、スタートを遅らせる。絶対に打ち込まないようにプレイヤー(詰まり私達)に注意すること!」

そうです、未だにデヴィさんは、国のVIPなのでした。

「コーラン」は神の声

イスラム教の聖典「コーラン(クルアーン)」は、開祖マホメッド(ムハンマド)にアッラーの神が降臨してマホメットの口を通じて伝えた言葉を記録したもので、一言一句変更することは出来ません。又、アラビア語からほかの言語に翻訳することも禁じられています。
私が読んだ岩波文庫の「コーラン」は、翻訳ではなく日本語による解説書という位置づけです。神の声を聞くためには、アラビア語を知らないと無理ということに成ります。「コーラン」の持つ荘厳で圧倒的なアラビア語の朗誦の迫力は「コーラン」の価値の一部であり翻訳によって失われてはならないと考えられて居ます。

では、仏教の聖典、所謂、お経については如何でしょうか。

教祖お釈迦様はインドとネパールの国境に住んでいたシャキア族の皇太子で当然、シャキアの言葉でお話されたと思いますが弟子たちがインドの公用語サンスクリットで記録しました。
中国からお経を受けに出向いた僧侶たち(西遊記の玄奘など)は唐代の中国語に翻訳しましたが、其処までで最初の呪文としてのお経は意味だけを伝えて音を失いました。後に日本に伝わった段階では、時空を自在に行き来したお釈迦さま(ゴータマシッタルダ)の超能力はお経を唱えても現れなくなっていました。
その意味では翻訳を禁止した「コーラン」は理にかなっていると云えます。

キリスト教の神は偉大なるアッラーと同じ人

何も知らなかった私が一番驚いたのは「コーラン」の中では、イスラム教の神様「アッラー」がキリスト教の旧約聖書に登場するアブラハム、モーゼ、キリスト等々が崇めた神と同じものであるということです。(勿論、キリスト教の方でそのことを認めているかどうかは、判りませんが・・・)
つまり預言者として、マホメッド(ムハンマド)より前にイエス・キリストが遣わされ、最後の預言者として、(神の言葉を伝える者として)モハメッドが遣わされたということになっています。
勿論、最後に遣わされたモハメッドが一番ランクが上の預言者ということになります。

もしそうだとすれば、「アッラー」は何故、彼に帰依したサラセン帝国と十字軍、シーア派とスンニ派の間の血みどろの戦いを黙って観ているのでしょうか?
嫉妬深い神は常に生贄を祭壇にささげることを求めているということなのでしょうか?

信仰の証として・・・


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