見出し画像

あなたは見栄っ張り?――見栄を捨てたつもりでいたけれど

Kindle出版の勉強会で、
「子ども時代の思い出を互いにヒアリングしよう」
というのがありました。

物心がついた初期の、幼い頃の記憶をたどっているうち、
こんな出来事を思い出しました。

それは幼稚園の年中組の頃。
私たち家族は父の会社の社宅に住んでいました。
そこは愛知県の小さな町(市ではない)で、
社宅といっても小さな平屋の一戸建てにそれぞれ庭がついています。
同年代の子どもたちとのびのび遊びまわる、理想的子育て環境だったのですが、幼い私は大きな家に憧れを持っていたのです。

ある時、公園近くにある大きな家を指さし、
幼稚園の友達に向けてこう言ったのです。
「あの家、私の親戚の家なんだよ」
友達は、驚きの声を上げます。
「すごーい! 遊びに行きたーい!」

遊びに⁉ その想定をしていなかった私は慌てて 
「あの家は、すごく大きくて狂暴な犬がいて行けないんだよ」
と言い訳するのです。

おそらく、それ以上突っ込まれることはなかったと思いますが、
その時、私は知ったのです。
1つ嘘をつくと、また1つ嘘をつく必要が出てくることを。

Kindle出版の仲間とその話をしているとき、
「きよこさんは見栄っ張りだったのかな。見栄っ張りでも全然いいと思うよ。向上心があるってことだもの」
と言われたのです。

幼い時の私は見栄っ張りだったのでしょう。
大きな家に憧れているのなら、「いいなあ、私も住みたい」と素直に言えばいいのですから。

こういう見栄って、大人の世界にもよくありますよね。
「親戚がスゴイ」自慢はよく聞きます。
それは事実かもしれないけれど、聞かされたほうは無関係の人のわけで、
あまり興味を持てません。
そして、あまり自慢が続くと、
「てか、あなたがスゴイわけじゃないよね」
と心の中で突っ込みを入れることになります。

Kindleの仲間は続けてこう質問してきました。
「今はどう? 見栄っ張りなところはある?」

見栄について、noteでこんなことを書いたことがあります。

自分では見栄を捨てたつもりでいたのですが、
よくよく考えたらちょっと違ったのかも…と気づきました。

私はどこか、SNSなどオンライン上の発言に「おそるおそる」のところがありました。
実際に手痛い思いをしたわけじゃないのに、
炎上したらヤだな、(ママ友などに)身バレしたらヤだな、
となんとなく思っていたふしがあります。

でも、Kindle出版プロデューサーを始めて、発信の重要性を理解し、
得体のしれないものを恐れる自分を脱ぎ捨てた瞬間がありました。
それを「見栄を捨てた」と思っていたのですが、そうじゃなく
「守りに入るのやめた」ということだったのかもしれません。

守りに入りつつの発信は、
人を傷つけることを書かないといった意味ではよいのですが、
自分の意見を書くという意味では、中途半端になってしまいます。
人の反応を気にして、書きたいことを書かずにおいたり、オブラートに包んだり、左右のバランスをとったり。
そもそもXなどでは、意見を闘わせる場には参加せず、
テーマ選びも、本や映画や番組といったオススメカルチャー紹介が多くなっていました。

守りに入るのをやめたことで、急に尖った意見を発信し始めたわけじゃないのですが、
ちゃんと本音と本心、今伝えたいことを伝えよう。
ヘタに恐れず、しっかり発信しよう。
というスタンスになったのです。

で、見栄を張るのをやめたのか。
いや、私はやっぱり見栄を張ってるかもなあと感じています。
仕事があり得ないほど立て込んでも、
家族の用事がイヤというほど降りかかってきても、
「なんてことない私」を装ってしまうのです。

かつ、「なんてことない」って顔はしてるのに、
忙しいことは人に伝えちゃう。
つまり、
「めちゃくちゃ多忙なのに余裕をもってこなしている私」
でいたいのです。

見栄が自分を大きく見せることだとしたら、
やっぱり私は見栄っ張り⁉

*********************************

そんな私と一緒に働ける⁉️お仲間募集しています。
ご興味のある方はこちらをご覧ください♪
    ↓
https://01-pub.com/l/c/2FlFIWpA/kpJmK1ia/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?