ゆめのよな

あるいは.セミの脱け殻

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最近の記事

びっくりぎょうてん鼻呼吸~のフガフガ(写真は花です メジロも隠れてます)

「呼吸がすべて」と思いこんだが運の尽き。というので鼻呼吸、やってみましたよ、フガ、フガ、フガ。昼間じゃありません、もちろん。夜、寝るときだけです。口に粘着テープを貼り付けて強制的に鼻から呼吸するわけですから。フガフガフガ。苦しいったって、そりゃ、あなた、苦しいもなにも、と思ってやってみたんですけど、始めてみたら意外にそれほどフガフガなこともありませんでした。 でも、どうしてそんなフガフガなことを始めてしまったのかといいますと、これはひたすら家内安全息災成仏を願って。という

    • 泣いてみたくて~高樹のぶ子の“不倫小説”というものを読んでみた

      街の古本屋の小さなカフェコーナーで その2 久しぶりに恋愛小説を読んだ。高樹のぶ子の本である。どうしてこの小説かというと、百円のレコードや古本を漁りにときどき立ち寄っては五百円の紅茶をオーダーしてだらだら過ごしている小さな街の古本屋の小さなカフェコーナーで、春の終わり頃にこんなことがあったからだ……。 「あの~、すみません、ヒスイっていう本、ありませんか」」 いかめしい顔をしたブルース狂の店主とボブ・ディランの「ソングの哲学」という新刊本の話で盛り上がってい

      • アナログ・レコードをめぐる「羊たちの冒険」~なのに写真は山羊です

        タイトルからしてムラカミ・ハルキの世界なのだが、村上春樹は村上春樹でも4月13日に発売された新作「壁とその不確かな壁」の話ではないのであらかじめお断りしておきたい。なお、羊の写真が手元になかったので山羊の写真でお茶を濁すことにした。それも「ドーパミン」の記事で一度使ったことのある使いまわしの、ひねこびた山羊である。 春三月。というので、ひと月ばかり前のこと。桜が開花した頃に街の古本屋の小さなカフェコーナーでたまたま隣に座ったファッショナブルな青年が店のアナログ・レコー

        • いないもん

          みどりちゃん、そこにいるのはわかっているんだ。隠れてないで出ておいで。 いないもん。 いるだろ、声がしてるじゃないか。 わたし、いないもん。 わたしって自分で言ってるじゃないか。わたしって、誰なんだよ。 わたしじゃないもん。 だって声が。 わたしの声じゃないもん。 わたしの声じゃなかったら、それは誰の声なんだよ。 わたしじゃなくたって声ぐらい出るもん。 匂いだってしてるんだよ、みどりちゃんの甘い匂い。 わたしの匂いじゃないもん。 右手の先だってちょ

        びっくりぎょうてん鼻呼吸~のフガフガ(写真は花です メジロも隠れてます)

          坂本龍一とyesterday when I was young

          自分の命があと半年しかないとわかったときに、人は何を思うのか。そんな話はもう聞き飽きるほど聞いたよと言われるかもしれないが、たまたま坂本龍一の手記のようなものが文芸誌「新潮」に載っていたのでページをめくってみたら、意外なことが書かれていた。 1978年からYMOで活躍してきた坂本龍一は、大島渚が監督した映画「戦場のメリークリスマス」やベルナルド・ベルトリッチが監督した映画「ラストエンペラー」で音楽を手がけ、「ラストエンペラー」ではアカデミーオリジナル音楽賞、グラミー賞

          坂本龍一とyesterday when I was young

          名古屋だがや大須だがやテレビ塔だがや~がやがや名古屋の探訪記

          内田百閒の言葉をもじっていうと、これといった用事もなく、特に乗りたいというわけでもない新幹線に乗って名古屋まで出掛けてみた。名古屋は久しぶりだがや。というので駅に着いて高島屋のあたりを潜り抜けて表に出たら目の前に超高層ビルの新しいのが並んでいて、にわかにテンションが上がってきた。さすがにトヨタの城下町。まぶしすぎるわ。日本列島はいまコロナや不況で青息吐息だというのに。そんなことを思いながらぶらぶら歩いて伏見をぬけて、サブカル・タウンの大須に突入した。 400年前にでき

          名古屋だがや大須だがやテレビ塔だがや~がやがや名古屋の探訪記

          それは「ルッキズム」なのか「エロティック・キャピタル」なのか

          朝が来た来た、朝が来た。2022年4月18日の朝。越後味噌をぶっかけた玄米御飯をクチャクチャしながら目の前に広げた朝日新聞というものをちらちら見ていたら、一面の「折々の言葉」という鷲田清一のコラムに、ペチャクチャ喋らなくても人の賢さや人柄は一目でわかるもんなんだよという日本近代史家の渡辺京二の話が出ていた。 ルッキズム その本旨は喋りすぎないほうが物事はうまくいくんだよというところにあったのかとは思うが、それで玄米御飯をクチャクチャしながら23面の記事(生活面)に辿り着い

          それは「ルッキズム」なのか「エロティック・キャピタル」なのか

          ライオンは寝ている

          この、なんといったらいいか、世界を否定するようなふてぶてしい態度には絶句する。もう三回目なのである。この二年ぐらいのうちに三回も会いに来てやったのに、こいつときたら、いつだって寝ている。どころか、急所をさらけ出すようにして、これ見よがしに眠り込んでいる。呼んでも応えず、手を叩いても目を開けない。カメラを向けて、手を振って、ときにはストロボまで瞬かせてシャッターを切っているというのに、このライオンは飽きもせずに惰眠を貪っている。動物園での動物としての職責を明らかに放棄している。

          ライオンは寝ている

          恋するカンガルー

          動物園でカンガルーと目が合った。同じ動物園で瑠璃コンゴウインコには完全に無視されてしまったのだが(前号)、このカンガルーは柵を隔てて数メートルの距離から私を見て後ろ足でぴたっと立ち止まった。 太陽崇拝のカンガルー仲間達がみんな日の差す方に顔を向けて礼拝中だというのに、このカンガルーは勇敢にもひとりだけ、間延びした顔を私に向けてきたのである。 目と目がまともに合ってしまった。ついさきほど、あのきらびやかな衣装を身にまとったラテン系の瑠璃コンゴウインコに無視されてアニマル不信

          恋するカンガルー

          瑠璃コンゴウインコの悲劇

          冒頭の写真は瑠璃コンゴウインコ(ルリコンゴウインコ=ルリコンと呼ばせていただく)とかいう、動物園がブラジルかどこかから仕入れたインコらしいのだが、ごらんのようにこいつは観客である私を完全に無視してあさっての方を向き、しかもすねている。すねているどころか、あからさまにくやしがっている。このやろう、という顔であさっての方をにらみつけたまま、それでも足りないのか止まり木に噛みついている。止まり木が痛そうである。 気の弱い私は、その憤怒に満ちた極彩色の仁王様のような形相に圧倒されて

          瑠璃コンゴウインコの悲劇

          楽園からはみだしてしまった女性たち

          コロナ禍の閉塞感を一撃してくれるような本を求めて、町の本屋さんに出入りしているうち、妙なことが気になりだした。 ある種の傾向を持った女性たちの書いた本が平積みされて売られているのに出会うことが多くなった、という気がするのである。つまり、それだけ売れているということなのだろうけれども。 そういう本をざっくりとではあるが読んでみたら、なかなかおもしろい。で、それを何冊か並べてみたら、ある種の傾向があることに気づいた。書いている女性がみんな「はみだして」いたのである。 はみだ

          楽園からはみだしてしまった女性たち

          クレジットカードを週に一枚は食べているあなたに

          プラスチックは人間の栄養にならないのか。 などと荒唐無稽なことを本気で考え始めたのは、そもそも知人が「プラスチックを食べて栄養にしている虫がいるらしいね」といいだしたからだ。 最初は、プラスチックが分解されてできるマイクロプラスチックが魚介類を汚染して大変なことになっている、という広く知られたニュースのことで侃々諤々していたのである。そんな魚介類を食べても大丈夫なのか、と。そしたら「プラスチックを食べて栄養にしている虫がいるらしい」という話が飛び出したのである。 このトピ

          クレジットカードを週に一枚は食べているあなたに

          幸か不幸か~恐るべしドーパミン

          幸せはどこからやってくるのかコロナ禍で仕事がなくなり、収入が激減し、あるいは自粛要請されて好きなことができず、友達と会って憂さ晴らしの会話さえままならない昨今。「ああ、幸せになりたい」「私はいつになったら幸せになれるのだろうか」と嘆いたり悶々したりする人が増えているようだ。コロナ禍それ自体はひとりでいくら考えたって解消できるわけがないので、幸せとは何か、幸福を手に入れるにはどうしたらいいのか、せめて手がかりでも。 といっても幸福の中身は千差万別、人それぞれだから、誰にでも当

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          パトスと歓喜の淫らなホルモン

          前回は本気で泣きたい人のためにと「苦海浄土」をお薦めした。この本で私の涙がとめどもなく噴出したのは事実なのだが、もしかするとこれは私だけの現象かもしれず、実際のところこれで泣いたと告白する人には出会ったことがなかった。 それどころか、これを読んで私が泣いたというと、たいていは怪訝なというかいかがわしい顔をされたものである。 特定の本を読んで「さあ、大いに泣きましょう」などと主張したり、「泣いたよ」と告白するのは世の謹厳な読書家の間ではルール違反にでもなっているのだろうか。

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          男も泣いて、共感力を育てよう

          この世の男は「やたらめったら泣くものじゃない」といわれて育つものだが、私は男のくせによく泣く。おおいに泣く。威張って泣く。 音楽を聴いても、本を読んでも、他人から辛かったという話を聞かされても泣いてしまう。 すぐに感動してしまう。 すぐに共感してしまう。 だから、恋愛でもセックスでも相手に感情移入してしまって、少し激しい。 泣けば情動が増幅されて副交感神経が活発になる。 それで涙を出し尽くしてしまえば心身ともにスッキリして、気持ちが前より安定する。そのあたり、セック

          男も泣いて、共感力を育てよう

          何が聖域を追い詰めたのか~ひどくなるポピュリズムと「専門知」の軋轢

          トランプ大統領に限らず日本でも学術会議のメンバー選定の問題が起きるなど、専門家集団や専門知を敵視する傾向が強まっている。 これに関連して、神里達博という科学史の研究家が先月の新聞コラムで、ポピュリズム、反エリート主義、デモクラシーとリベラルデモクラシー、といった視点からその原因を探っているのが目についた。 それによるとポピュリズムにはいまだにコレといった定義がなく、専門家の認識がなんとか一致しているのは「反エリート主義の立場から人々に直接訴えるもの」ということだけ。 そ

          何が聖域を追い詰めたのか~ひどくなるポピュリズムと「専門知」の軋轢