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名古屋だがや大須だがやテレビ塔だがや~がやがや名古屋の探訪記

 
内田百閒の言葉をもじっていうと、これといった用事もなく、特に乗りたいというわけでもない新幹線に乗って名古屋まで出掛けてみた。名古屋は久しぶりだがや。というので駅に着いて高島屋のあたりを潜り抜けて表に出たら目の前に超高層ビルの新しいのが並んでいて、にわかにテンションが上がってきた。さすがにトヨタの城下町。まぶしすぎるわ。日本列島はいまコロナや不況で青息吐息だというのに。そんなことを思いながらぶらぶら歩いて伏見をぬけて、サブカル・タウンの大須に突入した。
 
400年前にできたという大須観音の門前町として発展してきた大須にはもともと古着屋とか古道具屋とかバッタ屋とか、わけのわからない店がごちゃごちゃあって、何か怖いものにも出会えそうな危なっかしくて雑然とした魅力があったのだが……あれ、今回は静かである。まぶしくない。そうだよな、コロナだし不況だし、名古屋だってやっぱり日本のうちなんだもんな。名古屋駅前のまぶしさはあそこだけの現象だったんだよな、きっと。ときおり小雨に降られるような沈滞した日ではあったのだが、私の好きな大須は十数年前にぶらついた時と比べてどこかどこかが変わってしまったのではないか、という予感がしてきた。
 
小雨から逃れるようにして、人出の少なめなアーケード街を歩いてみたが、すれ違うのはブラジルとかアジアとかエスニックな顔ぶれの人たちばかり。食べ物屋も、ケバブにタコスに、ベトナム、韓国、インド、ネパール、台湾、インドネシア料理が増えている。ふむふむ、これはやっぱりトヨタの城下町であるところの名古屋のグローバル化が進んだということだなとポジティブに納得しながら、万松寺通りの入り口のところにズドンと構えているコメヒョウの本店ビルに入ってみた。
 
大須といえばなんといってもここである。大須観音の次ぐらいに有名な、古着や古道具のデパート……だったのだが、あれ、ここもなんか昔と雰囲気が違うよ。
 
客があまりいない。本店ビルの下の階はもともと宝石とか時計売り場になっていたと思うが、上の階には古着とか中古カメラがごちゃごちゃ並べられていて賑わっていたはずだ。なのに、上のフロアを回ってもそんなものは……いや、五階がメンズ衣料やシューズ、カメラ、楽器を扱っているみたいだが、貧乏人の気持ちをかきたててくれるようなものはない。昔みたいに二束三文で買える古着とか中古カメラとかが見あたらないのだ。あるのはピカピカ眩しいブランド時計や宝飾品、ヨーロッパの超高級衣料といったものばかりで、様変わりしている。中古品は中古品なのだろうが、おいそれとは手が出せない。ラグジュアリー過ぎる。値札を見なくたってそれはわかる。商品の方でこっちを拒否している。
 
うんと昔は貧乏人の味方で「いらんものはコメヒョウに売ろう」の宣伝文句をテレビなんかで飛ばしながら、鍋・鎌・包丁から箪笥や古い着物に至るまで生活に必要なものも必要でないものも何でも集めて売っていて、何が出てくるかわからない見せ物小屋にでも入ったみたいでワクワクしたのに、いつの間にか貧乏人は尻まくりして逃げ出したくなるようなエグゼなブランド・ショップになっていた。
 
がっかりしてビルを出て、未練たらたら通りをぶらついていたら、あれれ、アーケード街の裏手には古物とか古着を扱う小さな店がやたらとあるじゃないか。メイドカフェとか猫カフェとかカワウソのカフェとか手相見とか文鳥占いとかタトゥーのスタジオとか似顔絵屋とか、そんなものまで。名前がまた、「ひざまくら」だの「廃墟のエヴァレット」だのとまがまがしい。なんだよ、昔の大須はこんなところに移動してきていたのかよ、と喜んだのだが、古着屋の大半はアメカジなどの古着を並べたヴィンテージショップのようだった。
 
古いビルの中にあるそのうちの一店に入ってみた。内装といい、品揃えといい、なかなか凝っている。西洋骨董のようなものまで置いてあって、そそられる、エモい。と思って値札を見たらそこそこの値段がついていた。若者を対象にした店だからコメヒョウ本店ビルほどは「お高く」ないにしろ、掘り出し物があるかと思って入ってみた貧乏人が後先を考えずに買いたくなるようなものは見あたらなかった。
 
それでもめげずに何店か回ってみたけど、コスパのいい掘り出し物はやっぱり見つからなかった。もう、そういう時代なのだろうか。ネットで検索すればどのブランドのどのアイテムのどのレベルのものは幾ら幾らだと、ただちに知れてしまうのだから。全国どこでも値付けに大きな違いはないのかもしれない。
 
かくして大須からは野性が失われつつある、と思いながら、またぶらぶら歩いて、100メートル道路で知られる若宮大通りを信号二回待ちでようやく向こう岸に渡り、名古屋随一の繁華街であるところの栄に出て、久屋大通あたりの店のどこかでランチを食べて気をとりなおすことにした。
 
あてずっぽうに入ったその店は道路の角地にあった。HARBSという名の店である。路上から見て外観がどうというわけではない。階段も入り口あたりも別にどうということもない。と思いながら入ってみたら、午後の二時近くなのに込んでいるではないか。それでも久屋大通に面した側の席が取れたのはラッキーだった。大通公園なんぞも見渡せるような席だった。
 
ランチは1700円。トマト系のパスタを注文した。サラダとドリングが付いていて、食後にはデザートのケーキが選べる。いずれもボリュームがあっておいしい。おいしいのはけっこうなのだが、見渡せば客はあらかた若い女性達である(後で尋ねたらもともとはケーキの店だったらしい)。気の弱いおじさんとしては少しばかり気後れしないでもなかったのだが、結果的に言えば居心地は悪くなかった。
 
そこで久屋大通公園のあたりを眺めながら食事をしているうち、公園のど真ん中に立っている「テレビ塔」に昇ってみたくなった。
 
テレビ塔というのは集約電波塔のことで、名古屋のランドマークタワーである。東京タワーより古くて1954年にできた。現在は国の有形文化財にもなっている。2020年に改修されてリニューアル。外観は昔のままだが、ホテルやレストランやカフェ等が入って中身が充実した。昔から名古屋の恋人たちのデートスポットになっていて、恋人たちはここで待ち合わせて栄の街や地下街をぶらつく。
 
名古屋には縁があって多少のことはわかっているつもりだが、テレビ塔に昇るのは初めてである。塔の高さは180メートルで展望台まで90メートル。展望料金は大人が900円。ん?。つまり、1メートルにつき10円というわけか。この料金は想定外だった。
 
料金は想定外だったが、結論を言うと900円でもこの選択は正解だった。展望台はスカイデッキとその上にあるスカイバルコニーから構成されていて、正解だと思ったのは、このスカイバルコニーがあったからだ。スカイデッキからスカイバルコニーへはエレベーターでなく徒歩で上がる。スカイデッキより若干狭く、造りもやや粗っぽいような気がするけど、特筆すべきはこの空間が単に眺望だけの展望台ではない、ということである。
 
どういうことかというと、全面がガラス張りでなくワイヤ張りになっているのである。名古屋中心部の都市景観360度まるごと眺めながら、90メートル上空の名古屋の大気というか風の動きを全身で感じることができる。それじゃまるで網の檻に入った動物園のゴリラみたいじゃないかと思うのは早とちりというもので、実際には宇宙基地に乗り込んだような宇宙飛行士みたいな気持ちだった。
 
そんな大げさなことはともかく、ほぼ円形のスカイバルコニーにはさまざまな椅子が二~三脚ずつ、そこかしこに並べてあるので、恋人どうし腰掛けて語らうには具合がよろしい。恋人同士といえば、わざわざ「恋人の聖地」と刻まれた大きな金属プレートもあって、スマホを構えた恋人らしき男女が嬉しそうに写真を撮りあったりしていた。
 
たまたまなのか、あるいは900円の料金のせいなのか、それほど混み合ってはいなかったので手近な椅子に腰掛けて気持ちのいい風を浴びていたら、うつらうつらしてきた。瞑想するのにもなかなかいい。あるいは読書か。次に名古屋に来たときには是非とも時間を都合して、また900円を払ってここに昇って、市街の展望から読書から瞑想から昼寝まで、あるいはLEDでライトアップされるという夜間まで、何時間でも欲張ってみたいという気もする。迷惑かもしれないけど。
 
このテレビ塔、正式には「中部電力MIRAI TOWER」というのだそうで、愛称は「ウエミーヤ」。名古屋弁で「上見やあ」。つまり、上を見ろ。性別もあって、男の子だそうな。「恋人の聖地」はともかく、このあたりまでくるとおじさんにはついていけませんのですが、大須での空振りをちょっと取り戻してくれたような、くつろげる体験になりましたです。来年あたりにでもまた名古屋に行って、不当な評価を下されることが多いような気がするこの特異な大都市のおもしろさを再発見してみようかと思っている。

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