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瑠璃コンゴウインコの悲劇

冒頭の写真は瑠璃コンゴウインコ(ルリコンゴウインコ=ルリコンと呼ばせていただく)とかいう、動物園がブラジルかどこかから仕入れたインコらしいのだが、ごらんのようにこいつは観客である私を完全に無視してあさっての方を向き、しかもすねている。すねているどころか、あからさまにくやしがっている。このやろう、という顔であさっての方をにらみつけたまま、それでも足りないのか止まり木に噛みついている。止まり木が痛そうである。

気の弱い私は、その憤怒に満ちた極彩色の仁王様のような形相に圧倒されて立ちすくんでしまったのだが、見ているうちに感情移入していた。

しばらくしてから我に返ってルリコンが見ているあさっての方に目をやったのだったが、むむむむ、なるほど……。

ルリコンの目線の先には別の種類のインコが二羽、止まり木に止まっていて、こいつらがイチャイチャ戯れていたのである。このやろう、と私も思った。

さびしいくやしいルリコンのいたいけな思いを無視して、このアベックのインコ(カノ政治家とは関係ないがアベノインコと呼ばせていただく)は我が世の春を見せつけるようにして愛をささやきあっている。アベノインコめ、このやろう。

私はいつでも少数者の味方である。

ていうか、人間界の冷たい浮き世で、ことに男女関係に関しては何度も憂き目にあわされてきた縄文日本男子としては、目の前で繰り広げられているアベノインコのいちゃいちゃにとうてい我慢がならない。

ていうか、ルリコンの立場に立ってみて、共感のあまり彼のいたいけな思いに同化しないではいられない。

もともとが無原則にほれっぽい私は、このいたいけなルリコンに情が移って、ついでに男であることも忘れてしまって、彼の恋人になってあげたいぐらいの気持ちで、暴走してしまいそうだった。

その勢いが余ってアベノインコ(しつこいようだがアベックインコを勝手に略してみたのであってカノ政治家とはまったく関係がない)どもに五円玉でも投げつけてやろうかと思ったのだが、そこは人目のある動物園だったのでそういうわけにもいかないし、指をくわえて見ているほかなかった。

悲劇のルリコンを助けてやれなかったのが、今でも痛恨の極みである。

後日談
痛恨の極みだと書いた後でよく考えてみたら、アベノインコは恋人どうしではなくてただの友人か兄弟姉妹か遊び仲間だったのかもしれないということに気がついたが、はたしてどうなのだろうか。


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