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アナログ・レコードをめぐる「羊たちの冒険」~なのに写真は山羊です

 
タイトルからしてムラカミ・ハルキの世界なのだが、村上春樹は村上春樹でも4月13日に発売された新作「壁とその不確かな壁」の話ではないのであらかじめお断りしておきたい。なお、羊の写真が手元になかったので山羊の写真でお茶を濁すことにした。それも「ドーパミン」の記事で一度使ったことのある使いまわしの、ひねこびた山羊である。
 
春三月。というので、ひと月ばかり前のこと。桜が開花した頃に街の古本屋の小さなカフェコーナーでたまたま隣に座ったファッショナブルな青年が店のアナログ・レコードのジャケットを手にして誰にともなくうなづいていた。なりゆきでそっちを見ていたら、ちょっととまどってから「レコードが好きなんです」と教えてくれた。手にしているのは70年代初頭に発売されたジム・クロウチの「オペレーター」。渋い。

西荻窪へ


「でも、家にはレコード・プレーヤーがないので、ときどきここに来て古いレコードを聴かせてもらったりしてて……」

聞けば、まだ高校生で、四月から東京のアート系の学校に入るという。住むアパートも決まっていて、中央線の西荻窪。

「そうか。あそこだったらレコードでも何でも古いものを売ってる店が多いからいいよね」

西荻窪は骨董品の街でカフェや古本屋も充実している。

「ええ。だから、僕は西荻窪でアルバイトをして、レコードとかプレーヤーとか買おうと思ってます」

ほんとうにうれしそうである。学業よりレコード方面に夢を託しているようにも思えてしまう。

中古品を活用する


 それにしても高校生がアルバイトをしてプレーヤーを買って古いレコードを聴きたがっているなんて……と驚くことはない。若い人たちの間では今、レコードがちょっとしたブームなのである。いや、レコードに限らない。古着や古本や古道具もそうで、いわゆる中古品。強調しておきたいが、あくまで中古品なので、ヴィンテージ品ではない。そのオシャレな高校生が着こなしていたコートも実は古着で、下北沢で300円で買ったものだと後から聞いた。

 
中古品が注目されている理由はいろいろあるだろう。不況や物価高で手持ち資金が乏しくなっているとか、資源の節約とか、地球温暖化の問題とか。のなのだが、要するに地球環境の未来を考えて生態系を維持しなければという危機感、SDGS(持続可能な開発目標)が意識されているのだと思う。でも、それだけじゃない。

21世紀に入ってから日本人のライフスタイルが徐々に変わってきている。浪費や贅沢をやめて節約しながらつつましく暮らそうよという生き方に魅力を感じる人が増えてきた。断捨離やミニマリズムもその範疇である。

 
変化が見られるのは日本だけじゃない。アメリカでも中古ビジネスが花開いている。メリカルみたいな再販プラットフォームも人気だし、有名なファッションブランドも中古の服をリサイクルして販売し、それを宣伝するようになってきた。
 

ムラカミ・ハルキの世界へ

古本屋で高校生の話を聞きながらふと、村上春樹がちょっと前に雑誌のインタビューで語っていたことを思い出した。
 
村上氏がジャズやクラシックをかなりマニアックに聴きこんでいて、その手の本も何冊か書いたりしているのはよく知られているが、それと地続きに古いアナログ・レコード(ヴァイナル)の蒐集にも熱意を傾けているらしい。
 
レコード蒐集というとハイファイ・マニアの中高年のオジサンたちのオカネのかかる道楽みたいなものだと思っている人も多いだろう。でも最近はむしろ、先の高校生の話にあったように、若い人たちの間で人気が高まっている。これに応じて、新譜をCDではなくアナログ・レコードで発売するという、ひと昔前には考えられなかったような動きも見られる。
 
ストリーミングサービスやサブスクなどインターネット経由で音楽を聴くのがあたりまえになって、デジタル系のCDはもういらないと思う人が増えてきたということも背景にはあるだろう。それにアナログ・レコードは雑音が混じっていて高音質というわけではないけれど、気持ちのいい音を聴かせてくれる。若くても若くなくても音楽好きの人達がそこに目を付けるのは当然だと思う。
 
CDみたいに軽装でないレコードには「モノ」としての手応えもあるので、先の高校生みたいに手にとって眺めているだけで気持ちをくすぐられるということもある。また、レコード・ジャケットを絵画的に楽しんでいるという人たちだっている。
 

100円!


村上春樹に話を戻そう。村上氏はあれだけ本が売れているのだから貧乏なわけはない。それなのに彼は中古レコード店をマメに回って、なんと、「100円レコード」のコーナーを渉猟闊歩しているというではないか。
 
100円! ポイントはここである。1万円とか2万円とかの値札がついて麗々しく展示されているようなヴィンテージ・レコードではない、ただの100円!!
 
100円はいい。実にすばらしい。
 
というのは、実は私も100円コーナーに足が向いてしまう人間だから。といっても私の場合はレコードにかぎらず、古道具でも古本でも古着でも中古カメラの部品等でも100円とか300円といった見切り品コーナーを見つけると嬉しくなってしまうという、コレクター以前の雑食系の中古品ハンターなのだが、でも、これが楽しい。発掘というか宝探しというか100円ゲームというか、はたまたささやかなギャンブルというべきか。村上氏のアナログレコード蒐集はこれとは別の、マニアックで体系立ったコレクターのものなのだろうから、同列に論じたりしては申し訳ないと思うけど。
 
そういうわけで、買ったらそれでおしまいということも多く、おかげで狭い家の中はガラクタの山。何をやっているんだろうか俺はとショゲることもある。村上氏は100円の中古レコード漁りを自分の「宿痾」だと言っていたように思うが、掘り出すことだけが目的の私の場合はなんと言うべきか、病気なのかアホなのか適当な言葉が見当たらない。

ヴァイナルの時代、ジミー・ペイジも

アナログ・レコードの熱狂的なコレクターというのは実は世界中にたくさんいて、たとえばギタリストのジミー・ペイジは新宿あたりの中古レコード店に出没している。かつての経済大国である日本には掘り出し物がまだたくさん埋もれているらしいのだ。
 
参考までに。アナログ・レコード人気の世界的な動きについては「ヴァイナルの時代---21世紀のレコード蒐集術とその哲学」という本が半年ほど前に出ている。著者はマックス・ブレジンスキーという人で、カロナイナ・ソウルというアメリカのレコード店のコレクターのようだ。これが古本屋の100円コーナーに並ぶ日は……待ってたって来ないんだろうけどなあ。

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