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坂本龍一とyesterday when I was young


 
自分の命があと半年しかないとわかったときに、人は何を思うのか。そんな話はもう聞き飽きるほど聞いたよと言われるかもしれないが、たまたま坂本龍一の手記のようなものが文芸誌「新潮」に載っていたのでページをめくってみたら、意外なことが書かれていた。
 
1978年からYMOで活躍してきた坂本龍一は、大島渚が監督した映画「戦場のメリークリスマス」やベルナルド・ベルトリッチが監督した映画「ラストエンペラー」で音楽を手がけ、「ラストエンペラー」ではアカデミーオリジナル音楽賞、グラミー賞を受賞。現代音楽を採り入れた先進的な音楽を追求する音楽家として知られる。
 
1952年生まれの坂本に中咽頭ガンが見つかったのは2014年7月。62歳の時だった。幸い寛解している(治っている)と安堵したのも束の間、2020年には直腸ガンが見つかり、これが肝臓とリンパに転移していることがわかって医師から「なにもしなければ余命は半年、強い抗ガン剤を使って治療しても5年後の生存率は50%」と宣告された。その後、肺にも転移していることがわかったという。これまでに受けた手術は6回。壮絶である。
 
その経過や心境が「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」のタイトルで文芸誌「新潮」の7月号から連載されている。このあたりのことはいろいろ話題になっているようなので省くが、個人的にちょっと惹きつけられたところがあったので、それを書いておきたい。
 
余命半年と宣告されて入院したら誰だっていろんなことを考える。坂本はもう70歳だし、世界の音楽シーンで活躍してきたんだから、頭をよぎる思いも華々しく賑やかなものになるだろう。この手記でも、アーティストのヨーゼフ・ボイスやナムジュンパイク、ミュージシャンの親友カールステンなどとのつきあいから、歌手の大貫妙子と若い頃に同棲していたことまでストレートに書かれている。蛇足ながら、大貫妙子の「新しいシャツ」は坂本との別れを歌ったものだったらしい。
 
ネガティブなことも書かれている。手術や治療の後遺症などでせん妄が起きたこととか、体力が落ちて気持ちが折れそうになったこととか。そこから脱け出すための思考のプロセスについても、考えさせられるところがあった。現状を認めたうえで運命を受け容れようと模索する人間の悩ましげな試行錯誤。坂本は近親者や歴史的に有名な人の顔などを思い浮かべて、夏目漱石は49歳で死んだなどと呟きながら、だから70歳になった自分の命が残りわずかだったとしてもそれはそれで自然のなりゆきというか自分の人生なのだ、といったあたりに軟着陸していく。
 
束の間の喜びを垣間見せる場面もある。たとえば奥さんが夕刻になると病院を訪れる場面。コロナ禍で病棟に入れない奥さんは、外の道路の向こう側に立って、手にしたスマホのライトを光らせ、病室の窓辺に立つ坂本の手旗信号と交信する。この場面は心がなごむ。
 
もうひとつは……これが本題なのだが、音楽の話である。音楽だったら私は六十年代のアメリカンポップスを筆頭にジャズでもクラシックでも何でも好きで、ときどきは下手な弾き語りをしてコロナ禍での憂さ晴らしをしているのだが、そんな私もテクノ系というのかデジタル系というのか、その手の音楽にはあまり食指が動かずにいた。私が好きなのはアンプラグドな生の楽器であり人間の生の声である。したがって坂本龍一についても、彼の音楽をまともに聴いたことがあるわけじゃないのに偏見に近い先入観があった。そのためか彼の言動にもいくらか違和感を持っていた。
 
その坂本が今回の手記では、私の先入観を覆すようなことを言っている。病室での闘病生活を点描する中で彼は、息子さんがポストしていた音楽というのを何気なく再生してみたらしい。そしたら「イントロから歌に入って何小節かで涙が出て止まらなくなってしまった」と言うのである。その音楽が何かといえば、ロイ・クラークというカントリー歌手の歌う「yesterday when I was young」。これにはびっくりしてしまった。坂本がやってきた音楽とはまさに対極にある曲ではないか。これで私の坂本に対するイメージはちょっと覆された。
 
付言しておくと、「yesterday when I was young」の話に私がびっくりしたのは、手記を読む何日か前の晩、家でこの曲をたまたまギターで弾き語りしていたせいもある。その際、私も坂本と似たようなセンチメンタルな気分になったことを覚えていた。
 
坂本はこの曲を知らなかったらしい。もちろんロイ・クラークのことも。以前の彼はカントリーみたいな泥臭い音楽に耳を傾けることはなかったのだろう。ひとことで言うと「yesterday when I was young」は生々しく感傷的な歌である。坂本が手がけてきたであろう先進的でスタイリッシュな音楽とはほど遠い。作曲したのはシャンソン歌手のアズナブール。歌ってみるとわかるが、これはカントリーであるとともにシャンソン、日本でいうとほとんど演歌みたいなものである。
 
五~六年ほど前まで、私もこの曲を知らなかった。ユーチューブでたまたま読み込んで聴いたのだったが、思わせぶりなメロディーとロイ・クラークのしみじみとした声に心が動きだし、歌詞を反芻しているうちに胸が熱くなってきた。歌詞をアトランダムに並べるとこんな感じになる。
 
「若かったとき 人生は甘かった 夢ばかりみて 夜を好み 歌や喜びに生きて苦しみから逃げ 砂上の楼閣を建てたりしたが それももう終わってしまった さあ代償を払わなければならないときがきた いつも何かクレージーで新しいことに振り回されながら 魔法の杖を使って魔法のような時間を過ごしたが 恋の炎は燃え尽きて 友達もいなくなり 私は今ひとりで人生のステージから離れるところだ」
 
いい曲だと思うが、流行に敏感な人や血気盛んな人からみたら辛気くさいということになるのかもしれない。坂本龍一も、以前だったらこんな曲は決して聴かなかった、みたいなこと言っている。音楽家である彼はそもそも歌の詞に気を取られるようなことがなかったらしい。
 
実は私もこの思わせぶりな歌のことを友人や音楽好きの仲間に吹聴するのははばかられるようなところがあったのだが、坂本龍一の告白を読んで、そうか、この人も泣いちゃったのかと共感して、すっきりした。この歌は人生の折り返し点を越えた人間の心に忍び込む。坂本もそうだったのだと知って、言葉や音楽を感受する根っこのところは人間それほど変わらないのだと思わずにいられない。坂本龍一が再び寛解の喜びを手にすることを祈りたい。
 

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