男も泣いて、共感力を育てよう
この世の男は「やたらめったら泣くものじゃない」といわれて育つものだが、私は男のくせによく泣く。おおいに泣く。威張って泣く。
音楽を聴いても、本を読んでも、他人から辛かったという話を聞かされても泣いてしまう。
すぐに感動してしまう。
すぐに共感してしまう。
だから、恋愛でもセックスでも相手に感情移入してしまって、少し激しい。
泣けば情動が増幅されて副交感神経が活発になる。
それで涙を出し尽くしてしまえば心身ともにスッキリして、気持ちが前より安定する。そのあたり、セックスにも似ている。
だから経験に照らしていうのだが、辛いことがあっても嬉しいことがあっても、腹が立っても、泣きたかったら我慢しないで泣けばいい。
おすすめの健康法である。
母親が逝ったときは日に何度も、泣いて泣いて涙が止まらず、ひと月ほどは泣き暮れて周囲をうんざりさせたものだが、泣いたおかげでこっちは気持ちが前向きになった。
これだけ泣くとなると鬱の傾向があるんじゃないかと思われてしまいそうだが、ふだんは食欲も性欲もそこそこあるし、話し好きでわりと陽気なので、医学的な判定基準から外れているから、これはもう生まれついての気質なのだと思っている。
心身の反応が素直に出るタチなのである。素直すぎてとてもわかりやすい男なのだと勝手に思っているのだが、人間にとって、泣くというのは一種の下剤みたいなものだと確信している。
仏教的にいうとそれは慈悲から生まれるものだとか。
慈悲というのは他者を憐れむ心のことで、慈悲はさらに知から生まれる。
知のないところに煙は立たない。
知のないところに悲しみはない。
つまり慈悲はシンパシー・共感力という知的能力でもあるわけだが、共感力について話をするなら、この人。
作家・石牟礼道子をおいてほかにない。
この人の共感力は半端じゃなかった。
彼女の場合、正確にはシンパシーというよりエンパシーというものではないかと思うが、ともかくこれがすごいのだ。
彼女が生涯かけて書いたといっても過言ではない「苦海浄土」を読むとそのすごさがわかる。
「苦海浄土」は水俣病をテーマにして近代社会を告発した反公害の小説、というより石牟礼道子の祈りの書だが、実にすさまじいほどの情念がこもっていて、泣けるのである。
私はこの本にどれだけ泣かされたことか。水俣弁で患者が自分の置かれた苦境を語る場面では、ほとんどページを繰るごとに泣いてしまった。
石牟礼道子は作家で詩人で、はたまた霊感を帯びた「巫女」なのである。
本気で泣きたいと思う人には、この「苦海浄土」をお薦めしておきたい。
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