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楽園からはみだしてしまった女性たち


コロナ禍の閉塞感を一撃してくれるような本を求めて、町の本屋さんに出入りしているうち、妙なことが気になりだした。

ある種の傾向を持った女性たちの書いた本が平積みされて売られているのに出会うことが多くなった、という気がするのである。つまり、それだけ売れているということなのだろうけれども。

そういう本をざっくりとではあるが読んでみたら、なかなかおもしろい。で、それを何冊か並べてみたら、ある種の傾向があることに気づいた。書いている女性がみんな「はみだして」いたのである。

はみだしているからといって、けなしているのではない。言葉を換えるなら「過剰だった」といってもいい。

そのことに気がついたのは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本をブレイクさせた、その名もブレイキィならぬブレイディみかこという人と、それから中野信子という脳科学の人のベストセラー本を並べて読みかじってみたからだ。

このふたり、表面的にはまるで違うキャラクターに見えるのだが、中高時代の若い頃にはいずれも周囲からはみだしていたらしい。

ふたりのはみだしのポイントとして私が目をつけたのはただ一点。音楽の好みについてである。

福岡の高校を出てすぐロンドンに渡ったというブレイディみかこは、日本にいるときから学校や社会に閉塞感を感じてはぐれていたようだが、はぐれた末にパンクロックに出会って夢中になり、高校を出るやいなや日本と決別するようにしてロンドンにわたってパンク道を突っ走った。根っからパンクな人なのである。高校時代には過激なアナキスト大杉栄の反逆精神にしびれていた、ともいうし。

一方、エリートコースに乗って脳科学の分野の著作で知名度を上げた中野信子は、ずっと優等生だったのかといえばそうではなくて、子供のときは重くて激しいヘヴィメタルロックに夢中になっていたという。それだけでもう女子学生の間では浮いてしまっていただろうことは想像に難くない。他人への共感力を欠いていることを認め、本道を外れることを恐れないヘヴィメタな人だったようである。

パンクもヘヴィメタも、女子中高生を取り巻く当時の日本の社会的環境からすると完全に異質で、周囲にもそれに共感してくれるような女の子はいなかっただろうから、ブレイディも中野も、ともに世間というものをはみだしていたわけである。それは本人達も自覚していたようなのだが、自覚しながらあえてそれをやる、というところが「はみだし」の本髄である。

周囲の同調圧力に反発していたというか、共感することを拒否していたというか、自己チューを徹底していたというか、そういう負のエネルギーに急きたてられてふたりとも全力で突っ走ってきたわけだろう。

そう思っていたら、今度は二階堂奥歯という女性のウェブ日記が「八本脚の蝶」という文庫本(河出文庫)になって出版されているのを知った。こちらは編集者で二十五歳のときに、なんと死の予告をしてから自死しているのだが、そのブログや逸話は現今の編集者の間でも〝伝説〟として語られるほど強い磁力を持っている。

ブレイディみかこや中野信子みたいに一般に広く知られた女性ではないが、その特異といってもいい知的能力とはみだしぶりは半端じゃない。まずは読書量なのだが、国書刊行会や毎日新聞社に勤めながら年に365冊以上の本を読んでいたというし、学生時代はさらにその倍、子供の頃はその三倍の本を読んでいたというから驚く。

昼食時間など仕事の合間を縫うようにして神保町まで本の買い出しに走ることをやめられず、とても二十代の女性が読むようなものではなかろうと思われる本までめざとくゲットして……それだけじゃない。

二階堂奥歯は本中毒の一方で絵画、写真、アニメ、さらには香水などのコスメチックにやファッションにも精通し、こだわりが強烈すぎて世間というものを完全にはみだしていた。ドール好きで球体関節人形の蒐集家という澁澤龍彦ばりの怪しげな側面もあった。大学を出て数年という短い間に超特急の編集者人生を生きぬいて自分で区切りをつけたわけだが、生きていればこの人の才能はどこかで日の目をみただろうにと思うと、ちょっとやるせなくもある。

はみだしていた、と思われるのはこの三人に限らない。社会学者でフェミニストとしても知られる上野千鶴子もこのタイプだ。上野は高校時代から女子高生をはみだしていた。大学生のグループと喫茶店でしょっちゅう難解な論争をしては撃破しまくっていたという伝説があるし、大学に入ってからは学生運動に足を踏み入れたものの運動家たる男どもの嘘やきれい事に我慢がならず、その反権力の運動をはみだし、勉学に励みつつ男社会の綻びを毒舌をもって鋭く指摘してきた。

フェミニストといえば、最近は田嶋陽子という女性がその著作等を通じて再び脚光を浴びているようだが、田嶋も若い頃はかなりはみだしていた。彼女はテレビの討論番組で舛添要一などとともに売り出し、番組中では多数派の男性陣にやりこめられてもそれに敢然として立ち向かっていくので、激情型の女性という印象を持つ人が多いだろう。この人は男尊女卑の傾向が強かった母親に反発し、男社会に異議を申し立ててきた。怒れるフェミニストとして男社会に同調せず、自分をさらけ出して立ち向かってきた、という意味でこれも「はみだし系」の女性たちの一人に数えておきたい。

このほかにも漫画家のヤマザキマリ、100歳長寿が話題になっている瀬戸内寂聴、その昔、婦人解放運動に走ったあげく憲兵に殺されてしまったアナキストの伊藤野枝など若いころに「はみだしてしまった」著名人は多く、著作などを通じてその傑出したはみだしぶりが読み取れる。

こういう「はみだし系」の女性が周辺にいたら、個人的にはやっぱり敬遠したかもしれないが、一方では、結果的にこういう女性たちが社会を活性化させているのも確かなので、それを讃えたいとも思う。

女子中高という穏やかな同調社会では自己中心的かつ闘争的だということでネガティブな評価に苦しんだ女性たちが、マスという大人の自由な空間に飛び出したらそれがプラスのエネルギーに変換されて高く評価されるという、このあたりのパラドックスは、おもしろいといえばおもしろい。結論として、同調社会という狭くて特異な空間での評価は女子学生に限らずあまり気にしないほうがよろしいのではないか、ということにしておきたい。


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