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鏡の中のわたし

生活はとにかくすさんでいた。
仕事で精神は疲れ果て、一人で暮らす間借りは酒缶で足の踏み場さえなかった。

何のために生まれ、何のために金を得て、何のために金を使うのだろう。
自分を守るため?今更そんなことしたって、傷つけるものなんて存在しないのに。

「だって、社会の欠陥品なんだもん」

省かれて当然だ。
当たり前のことができない自分に、生きている価値なんてあるわけがない。自分で自分の値打ちを定めるとしたら当然の如くゼロを付ける。値段すら付けられない、どうしようもない欠陥品。自分のことで精一杯だから、他人のことなんて気にかけることすらできない。
そうして今日も、缶チューハイを片手に現実から目を背ける。

とうとうやりきれなくなって、ゴミステーションの中で酒を煽った。人間の尊厳なんてどうでもいい。こんな自分に尊厳は不要だった。
明日は確か燃えるゴミの日だったと思う。朝を待たずにゴミ袋を放り入れる住民をよそに、程よい香りと狭さを味わいながら今日も今日とで酔いつぶれる。燃えてはいけない入れ物に入っている液体は、強炭酸に入り混じったレモンの酸味が荒れた食道を潤した。

やがて、ステーション内の密度が最高潮に達した時。

ビリッ―!

右隣のゴミ袋が圧力の反動で中くらいの穴が空いた。中から鋭い破片が顔を覗く。その破片は、チューハイを持つ手を小さく切り裂いた。

よく見てみると、それは鏡の破片だった。
割れたものなのか、外周りは出刃包丁の如く鋭利になっている。手に触れるだけで切り傷が増えていったが、自分にとってはどうでもよかった。

左手で鏡を手に取り、興味本位でまじまじと見つめてみた。
鏡の中の自分はだらけきっているかと思いきや―どこか思い詰めた様子でしっかりと地べたに立っていた。それも背筋を伸ばして、服装もきちんと身だしなみを整えている。
ここにはゴミ袋しかないはずなのに、写し出された背景は嫌というほど通い詰めたビル街で、自分は前一点を見つめていた。

500ml缶のチューハイが底をつく頃、自分は鏡の世界に夢中になっていた。
ビル街を闊歩する姿はまさに武人そのものだった。いつものオフィスで同僚と顔を合わせ、我が物顔で仕事をこなす。目線なんて知らない。評価なんて知らない。そこにあるのは、与えられた仕事だけだった。
黙々と仕事をこなす自分に同僚のミスをリカバリーする自分、効率よくPDCAを回す自分―まるで正反対だが、もう一人の自分がそこにいた。

鏡の中の自分はまだ、目の前の自分を見つめている。
その目には何が写っているのか、それとも何も写っていないのか。
仮にゴミ袋の中にまみれた自分の姿が写っているとするならば、なぜこいつは何も語ってこないのだろうと不思議でしょうがなかった。

「何か言えよ。このクソ野郎」

鏡はいつの間にか中心にヒビが生じていた。
やっと鏡から目を背けると―視界は何個もパーツ分けされて、所々に黒い溝が表れていた。

(1193)

この作品はピリカさん主宰企画「夏ピリカグランプリ2022」応募作品です。

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