「Pさん」の蔑称で呼ばれた私が思う「さん付け推奨」
朝のニュースで「さん付けを推奨する小学校」が取り上げられていました。
小学校の頃は先生がさん付けで読んでいたので割と普通な気がすると思いましたが、さん付けしていたのは女子だけでしたね。私の場合、4年生くらいまでは同級生もさん付けで呼んでいましたし、呼び捨ては5年生になってからでした。
一方中学校では、先生から名前で呼び捨てされるようになり「あ、大人の階段登ってる」とちょっとだけ感慨深くなったものです。そして高校は名字呼びに変化していくわけですね。
ニュースでは「男女問わずさん付け推奨」と紹介されていましたが、私はむしろ極端すぎるように思うのです。
ルールを制定しても必ず抜け道はつくられる
小5の頃、クラス内で暴言を吐いたり挨拶しなかったりしたのが問題視されました。後者は参観日の時に母が担任に物申したそうです。
それを受けて数日後、2時間に渡り臨時クラス会議が開かれることになりました。
話し合いで決められたのは次のとおりです。
「死ね」「うざい」などの言葉は使わないようにする
嫌な気持ちになったら「本当に嫌だからやめて」という
呼び捨ては良くないから、必ず「君・さん」を付ける
嫌な思いをした人がいるためあだ名禁止
帰りの挨拶をするときはハイタッチ(母曰く「そういうことじゃない」と当時の担任に対してかなりお怒りでした)
以上5つのルールの元でクラス生活を送るハメになるのですが…やっぱりそれをネタにする奴は一定数存在するわけですよ。
例えば仲良し同士がじゃれ合う時、軽口を叩いてコミュニケーションを取る傾向にありますよね。しかしルール上では軽口で使われる言葉も暴言にカウントされるため、片方が暴言を吐いてもう片方が「本当に嫌だからやめてぇ~ww」と漫才を始めるパターンが現れ始めたのです。
当然他の子はそれがテンプレになっていることを知らないわけですから「ルールを破っている」と思いますよね。クソ真面目な子に至っては形通りに捉えてしまって先生にチクるわけですよ。そして先生はキレて授業を潰し、誰も望んでいないのにお通夜のような学級裁判を開くわけです。
(私はこれを何度も経験しました。むしろ小学校生活の3分の1はこれです)
当時はまだ「さん付け」が校則に入っておらず、多分先生方の自主判断でそうなったのかもしれません。
なんなら児童を呼び捨てで呼んでいた先生もいましたし、一人ひとりと向き合って良し悪しを教えてくれる先生もいました。
本当にさん付け徹底で蔑称が消えるのなら嫌な思いをせずに済む人はいっぱいいる
中2の終わりあたりから、一部のクラスメイトから「Pさん」と呼ばれるようになっていました。原因は知りませんが、おそらく私が肥満体型だったからでしょう(ぽっちゃり(Pocchari)のP)。
蔑む意味で呼ぶなら「P」だけでいいじゃんと個人的には思うのですが、多分さん付けで呼ぶあたりがミソなのでしょうね。知らんけど。
本人を目の前にしながら「直接名前で言わないから大丈夫」と思ってたんでしょうか。
でもね、10年以上経った今も覚えているんです。
家庭科の授業で「豚肉とPさんって共食いじゃんw」って同じグループの男子がコソコソ馬鹿笑い
多くの同窓生が私の授業道具を汚いものを扱うように指先で触る
給食当番時、殆どのクラスメイトが給食を運んでくれなかった
中3時の担任は私が半分のクラスメイトからシカトされていたのにも関わらず何も対処してくれなかった(「Pさん」の蔑称は知らなかったにしても「読書が好きな子」と思って見て見ぬふりをした罪は学級崩壊以上に重い)
つまり何が言いたいかというと
さん付けを徹底させたとしても、結局は死角で蔑称は生まれるものなんですよ。
「みんな仲良く」という考え方が猛毒になっているのであって、合わない人との距離感を教えるべきなんです。
生真面目なもので、子供時分は「仲良くしなきゃ」「みんなと一緒にならなきゃ」という考えが先走りすぎていたと思います。
しかし、学校というものは人間が一番最初に経験する小さな社会です。そこで嫌な経験ばかり積んでしまうと自然と自己肯定感は低くなりますし、他人の顔色を伺うことばかり覚えてしまいます。それって子供の未来投資を犠牲にしているといっても過言ではないですよね。
さん付けで愛称・敬称・蔑称の区別を学ぶ効果は本当にあるのでしょうか?
少なくとも私は、さん付けの蔑称が生まれる結末しか思い浮かびません。
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