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掌編小説【特別な時間】

お題「自然の理」

【特別な時間】(2120文字)

梅雨の晴れ間に眼科へ行った。
左目が急に見えにくくなったのだ。私は気になることはサッサと済ませてしまいたい。夫には、お昼までには戻れるからと言って家を出た。

眼科に着くと早速、精密検査のために瞳孔を開きますと言われて目薬をさされる。
「二、三分くらい目を閉じていてくださいね」
「はーい」
待っている間に下瞼が目薬で水っぽくなってきたので手探りでハンカチを探す。ハンカチなんてすぐ見つかりそうなものなのに、指先に触れるのはメガネ、なにかの紙、文庫本、エコバッグ。私のハンカチはいったいどこへ消えたのだろう。探しているときほど見つからない。こういうのはマーフィの法則とか言ったっけ。昔流行った。
あきらめて水っぽいままにしておく。涙が滲んでいるのだと思えば風情がある。どんなことでも慣れるとまぁいいかとなる。私はあきらめるのが得意。それがいいことなのかどうかはわからないけれど。

もう五分以上経ったのではと気になるが、目を開けてはいけないので時計を確認することができない。もしかしたら「二、三十分くらい」と言われたのかもしれない。でも看護師さんに確認するほどでもない。急ぐ旅ではないのだから。お昼までには、まだかなり間がある。
人生はそもそも急ぐ旅ではないはず。ただ時折、なにかに急かされているような気がするだけだ。
ここは落ち着いて無為な時間を楽しむぞー、と思ったところで診察室に呼ばれた。これもマーフィか。すこしざんねんなキモチ。

診察室で眼球の写真を撮る。血管の一部に動脈硬化がみられるものの、大きな問題はないとのこと。
「老化ですかねー」
「加齢によるものですね。軽い白内障はあります」
「そうですか」
老化を加齢と言い直してくれる優しい先生。私もそんな年になったのだなぁと思う。少しずつ失われていくものが確かにある。自分の中にも周囲にも。
それにしてもコンタクトレンズもメガネもないと本当に見えない。ド近眼でも手軽に矯正できるから普段は忘れているけど、道具がなければ私は障がい者だ。老眼も順調に進んでいる。老眼は加齢眼とは言わないのだろうか。

瞳孔を開く目薬は五、六時間効果が続く。視界がぼんやりして眩しい。気を付けてお帰りください、と言われ、家までの道のりを寝起きのハムスターのように薄目で歩く。私の目がいつも自然に光の量を調節してくれていることに気づく。たいしたものだ。これも普段は忘れている。
薄目のぼんやりとした視界に道端の紫陽花が映る。この見え方は今しか楽しめない。しばらく立ち止まって、曇りガラスの向こうにあるような淡い薄紫色の紫陽花を眺める。
途中でパン屋に寄って、あまり選ばずにいくつか購入する。名前も値段もよく見えないから適当。

帰宅してテーブルの上にパンを広げ、夫には好きなものを選ばせて残ったものを食べる。あんパンとチーズパンだった。どちらも好きだからOK。
食後も、スマホやパソコンは画面が眩しくて見られない。視界がかすむのでテレビも見えないし読書もできない。再び無為の時間。コーヒーを飲み、座椅子にもたれて目を閉じていたら眠ってしまった。こんな日はカフェインもはたらかないようで。

・・・

コトッコトッと音がして目が覚めた。
夫の松葉杖の音だ。骨に転移したガンのせいで股関節にヒビがはいり、杖なしでは歩けなくなった。回復するかどうかはわからないらしい。少しずつ失われていくものがここにもある。

余命二年と言われてから一年半経っている。今は抗がん剤も効かなくなった。宣告された夫は、一年前に仕事を辞めて悠々自適の隠居生活に入った。毎日映画を観たり、テレビを見たり、本を読んだりしている。生産的なことは特にしない。行きたい所があるわけでもないという。
余命宣告された全ての人がなにかやりたがるわけではないし嘆き悲しむわけでもない。
夫の居室からは、お笑い番組を見て笑っている声がよく聞こえてくる。

鎮痛剤を飲んだ夫が、ついでにトイレに行くと言うので少し手を貸す。
「今日はあんまり痛くないよ」
「よかったねぇ」

お腹が空けばご飯を食べる。手が汚れれば洗う。歩きにくければ杖を使い、見えなければコンタクトを装着する。ガンになれば抗がん剤を使い、痛みが出れば鎮痛剤を使う。
ほとんどのことには対処する術がある(選択肢もある)。
だから選択した後は身を任せていればいい。それなのに文句が出る時は、まだなにかに抵抗しようとしているのだ。
抗ったところで元には戻らない。失われていくものは失われていく。
ただ、そんな風に人に言うと必ず抵抗される。
みんな抵抗することが大好きなのだ。

では、死を宣告されたら?
これも普段は忘れているけど、ほんとうは知っている。
死なない人はいない。

夕方になって視力が元に戻った。視界もかすまないし、眩しさもない。
特別な時間が終わり、すこしざんねんなキモチ。
雨が降り始める。梅雨入りするとちゃんと雨が降る。
それは自然の理。

漫才でも見ているのか夫の部屋から笑い声が聞こえる。
雨の音と笑い声の重なりに、私は耳を澄ます。
これも今しか楽しめない音。

来年の今頃はひとりかもしれない。
それも自然の理。
ただ、すこしざんねんなキモチになるかもしれない。
特別な時間が終わる時のように。


おわり

(2023/6/11作)


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