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嘘の素肌

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「何者でもない僕に付加価値を与えてくれるのは、いつだって好奇心旺盛な女性達でした。」 桧山茉莉、二十七歳。仕事や人間関係に不自由なく生きてきた"何者でもない男"を取り囲むのは、…
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#自殺

VILLAIN【嘘の素肌スピンオフ】

VILLAIN【嘘の素肌スピンオフ】

 被写体の女へ全裸になるよう指示した後、一眼ミラーレスのISO感度の値を調節し、明るさを設定した。見慣れた日本橋のラブホテル内の一室。大きいバスタブに湯を張った後は造花品である薔薇の花弁を浮かべ、女の長い髪が水面に弛むよう、ゆっくりと浴槽に身体を沈めて貰う。「こっち視て」俺の言葉に女の瞳が動き、カメラのレンズを追うように覗き込む。三分割構図を意識しながら、脳内で描いたグリット線上に被写体を配置し、

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嘘の素肌「第17話」

嘘の素肌「第17話」

 ばつの悪い空気感を濁すように、僕の過去話が終わってからは三人で酒を浴びることに集中した。冷蔵庫に買い溜めしておいたチューハイ缶のみならず、梢江が持ってきたウイスキーや僕が愛飲しているジンのボトルが空になって、さすがの酒豪である梢江も泥酔と呼ぶべき呂律に変じ、気づけばベッドに転がって寝息を立てる始末。寝顔が愛らしい梢江の頬にキスをすると、和弥から「王子様かよ、テメェは」と鼻で笑われた。「お前よりは

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嘘の素肌「第19話」

嘘の素肌「第19話」

 瑠菜の入院理由はインフルエンザだった。部外者には季節モノのウイルス程度で入院とは大袈裟だと揶揄されそうではあるが、三日三晩三十九度近く熱が続いた瑠菜は先天性無痛無汗症の弊害で発汗が困難な状態にあり、生死の狭間を彷徨うほどの事態にまで発展した。一年間、就労支援施設での生活へ健気に取り組み、これから更に自分のできることを増やしていこうと考えた矢先の緊急入院。僕も仕事終わりや休日を利用して瑠菜の元へ毎

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嘘の素肌「第20話」

嘘の素肌「第20話」

 三鷹にある自宅の一室で和弥は死んだ。タコ足配線用の延長コードで首とクローゼットパイプを結び、大量の睡眠導入剤を焼酎で服用し自殺した。遺体が警察に引き渡されたのは自殺実行から推定三日後の朝で、梢江が第一発見者だった。糞尿を垂れ流し、虫が湧いた状態の和弥を警察へ通報した梢江は事情聴取を兼ねて警察署へ同行し、数時間後に重要関係者として僕が、それから芳乃家の両親が三鷹警察署へと呼び出された。和弥の遺体は

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嘘の素肌「第21話」

嘘の素肌「第21話」

 ホテルへ着いてから、僕は近隣のコンビニで買ったウイスキーをひたすら痛飲し、何度も吐いて、便所を吐瀉物臭くするだけの時間だけを過ごした。麻奈美さんはそんな僕の醜態を止めるつもりはさらさらないみたいで、僕が便器に顔を突っ込んでいれば背中を摩り、ベッドに寝転がるときはいつものように膝を貸してくれた。

「何があったのか、訊いたりしないんですか」

 僕の問いに、麻奈美さんはペットボトルのミネラルウォー

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嘘の素肌「第22話」

嘘の素肌「第22話」

 和弥の通夜は、葬儀屋の手厚いサポートもあり予想より早く行うことができた。検視を終えた遺体は依頼先の葬儀会社に回されエンバーミングの処置を受けた。息子の自死ということで母親や瑠菜はさすがに取り乱していたが、父親の冷静な応対によって近親者のみでなら葬儀も可能であると判断が降りた。自殺という懸念点を含め、数を絞った参列者の中で僕は受付を担当させて貰うことになった。葬儀場へ親族に次いで逸早く入場し、筆記

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嘘の素肌「第23話」

嘘の素肌「第23話」

 昼夜逆転の生活に身体が慣れ、人々が目覚める時間になっても僕の覚醒は続いていた。遮光カーテンの隙間から漏れる光の量で早朝の気配を獲得し、眼前に立てかけられたF8号のキャンバスから一度離れ、絵全体の印象を確認することにした。何処かの雑踏。コンクリートブロックらしきものに腰を下ろし、背中を丸め、脚を組み、頬杖をついて、肘を片膝の上に乗せた僕をモデルにした自画像。かつて和弥が撮ってくれた写真をモチーフに

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嘘の素肌「第24話」

嘘の素肌「第24話」

 天井に取り付けられた丸いLED照明と目が合う。僕はブラウンのベッドスローに革靴を履いたままの足を乗せ、仰向けになって股座に女を沈めていた。女は着衣したままの僕の下半身から上手にペニスだけを引っ張り出し、呂律の回らなくなった舌で健気に舐めずっている。煙草が吸いたくなって、コーヒーテーブルに手を伸ばす。煙草よりも先に女が調子づいて飲み干したクライナーの空き瓶が指先に触れた。隆起した下腹部に熱が溜まっ

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嘘の素肌「第27話」

嘘の素肌「第27話」

 喫煙所から出た後は松平に適当な理由を告げ、VIPルームには引き返さなかった。いずみのマンションへ戻る気にはなれず、他人との交流を遮断し今は制作に打ち込みたい心地だったので、三年前から借りている立川のアトリエ代わりの安アパートに大人しく帰った。数時間後、ゴミ屋敷に近い状態の一室で僕が筆を握ると、松平から「刺青と巨乳でロイヤルスイート。半分桧山の尻拭い」とLINEが届いた。何が尻拭いだ。口では偉そう

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嘘の素肌「第29話」

嘘の素肌「第29話」

 世間一般が新生活だなんだと浮足立っていたその頃、変わりない毎日を送る僕は渋谷の純喫茶に松平から呼び出された。「巷を賑わした才者との邂逅タイム」と電話越しに松平は言っていたが、今回は表現者を集めたいつもの会とは違うらしかった。

 渋谷駅から徒歩十分ほど歩けば着く、八幡通り沿いに位置するレンガ調の外壁が目印の古き良き喫茶店。正午を少し過ぎた待ち合わせというのが、夜にばかり顔を合わせる松平とはどうし

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嘘の素肌「第33話」

嘘の素肌「第33話」

 立川に降り立つ直前、村上をあの部屋へ連れていくことに億劫さを覚えた。これだけ僕を敬ってくれている後輩に対し、現在僕が巣穴に使用している部屋が築二十年の古典的なRC造の賃貸である事実が、単純に惨めでならなかった。なので道中、僕はその部屋がアトリエであることを強調し、現在は面の良い女と同棲している旨を淡々と説明した。村上が女の顔写真を所望してきたので、「片山いずみって検索してみな」と返した。電子タバ

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嘘の素肌「第34話」

嘘の素肌「第34話」

 冷えたフローリングに素っ裸で寝そべる自分を想像だけで俯瞰したら、八日目の蝉より哀れで邪魔くさい存在のように思えた。隣で同じように裸のまま仰向けになっているいずみとは指先だけで繋がっている。いずみの腹に飛ばした精液が次第に乾いていくが、彼女はそれを拭き取ろうとはしなかった。汗みずくの背中が床にべったりと貼り付いて、身体を動かす気にはなれなかった。四十度近い発熱時に苛まれる様な、耐え難い頭の鈍痛と眩

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嘘の素肌「第35話」

嘘の素肌「第35話」

 自殺対策基本法第五条には「国民は、生きることの包括的な支援として自殺対策の重要性に関する理解と関心を深めるよう努めるものとする。」という文言がある。しかしながら、一般は日常生活において「自殺」という単語そのものを無意識に嫌う習性がある。それは偏に、自殺という事象が自分にも起こりうる可能性がある真実性を、皆本能で感知し、無自覚に回避しているのではないかと僕は考えている。テレビのニュースで集団いじめ

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嘘の素肌「第37話」

嘘の素肌「第37話」

 よく晴れた日の、懐かしい芝生上からの景色。真っ青なレジャーシートを敷いた地面に寝そべる和弥の姿をみて、これが夢なのだとすぐに理解した。木の葉の影で顔が覆われた和弥は、起き上がらないまま煙草をぷかぷかと燻らせている。膝を抱える僕は辺り一面に目線を配るが、僕ら以外の人間はいなかった。和弥の吐いた紫煙が北から吹く柔らかい風に乗って流れていく。僕の手にはプルタブの弾かれた缶珈琲が握られていたので一口飲ん

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