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同性愛者に、私は“なった”のだろうか?

東京レインボープライドが、数年ぶりにオフラインで実施された。

私が「行きたい」と言ったので、彼女は行こうかと言ってくれたけど、曇天のせいか気が進まず、雨の予報もあったのでやめてしまった。

でも、私は今、とても同性愛者だ。

短髪ながら社会的にも生物学的にも女性である彼女を、心底愛している。でもって、一生添い遂げる心づもりでいるので、結婚が認められたら勿論したい。兄弟たちと同じように、公的に認められた2人になりたいし、近しい人には祝福もしてもらいたい。

私にとってはとても自然で当たり前の“同性愛”だけど、こうして大きな活動になると、必ず目につくのが「生殖を前提としない恋愛関係は不自然」「精神的に歪んでいる」とかの真っ向否定のご意見だ。

本当にそうなんだろうか?

や、いやいや! 散々自分の異性愛の可能性を探ったよ。心が擦り切れても、多くの皆さんと同じように“異性との運命の愛”を求めて努力も行動もしたさ。30年間、自分を同性愛者だと決めつけず、同性を愛するまでは自分の性的嗜好については口を噤んだよ。

でも、どんなに目を背けても、ずーーーーーっと違和感があった。同性への感覚、感情、嗜好を、しっかり自覚してた。それは、私が異性からの性暴力の被害に遭うかなり前から。

そう。これがひっかかりポイント。

私は思春期に、異性からの性暴力の被害に遭っている。悪質で、気持ち悪くて、残念ながらこっ酷めのやつ。その上、中学から大学まで通して女子校育ちで、男性との人間関係が極めて薄い。これを、「トラウマ経験から男性恐怖症になったから、女性をカレシ代わりにしてるんだろう。」と捉える人が多いのは、安易に想像がつく。

知り合いでも、異性との人間関係に負の感情や記憶がある同性愛者が、事実、少なくない。私の彼女も、父親との親子関係の中に、忌まわしい過去がある。

でも、異性嫌悪や異性恐怖の経験がある人間がそれをきっかけに同性愛者に“なる”ってのは、やっぱり腑に落ちない。

なってないのよ! むしろ“なる”なんてことが出来るのなら、こんな国だもの、多くの同性愛者が異性愛者に“なる”ことを選択するわ! 逆逆! 

人間だもん! わざわざ茨の道を選択しねえわ!!

「親が悲しむだろうな…」って悩んで、「なんで自分は普通じゃないんだろう」って自責の念に押し潰されて、「同性愛とかアタマおかしいだろ!」と気持ち悪がられ、ヘイトスピーチを受け、散々傷ついて、幸せそうな異性愛者の友人の結婚式では独身のフリをして愛しい人との関係を隠して過ごす。Instagramの知人カップルを見ては「羨ましいな」「自分たちもこんなふうにオープンに過ごせたらな」と諦めの境地に至る。

それを! わざわざ! 選択するかね!

…しねえわ!!!!!(笑)

異性に性暴力受けたってなんだって、選べるんなら異性を愛して異性愛者として普通に暮らしたよ、少なくとも私は。

だからやっぱり、私は同性愛者だ。

彼女のことを愛してるし、異性を愛することは一生一度も無いんだろうと思う。



「同性愛者はどうしても“おかしい”」と思う誰かさんへ。

大丈夫。同性愛者が存在しても、同性愛者が平等に扱われるようになっても、あなた達の幸せは何も損なわれやしない。ただただ、あなた達が今“当たり前”に持っているものを持っていなくて、“当たり前”に受けているものが受けられなくて、悲しい/悔しい/苦しい思いをしている人々が、少し救われるだけ。

人助けと思って、考えてみてほしい。

ハッピープライド。

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