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幼きぼくは「書きたい」と思った

ぼくが「書きたい」と思うようになったのは、小学校低学年のころに書き始めた日記が最初だったんじゃないかと思う。

ぼくには、書きたい理由があった。

それは、忘れることを恐れていたから。


その日、その時間は、過ぎ去れば跡形も残らず消えてしまう。残るのは記憶のなかだけで、それも時間とともに薄らいで、あとから思い出そうとしても思い出せなくなる。

幼心ながら、ぼくにはその日を失う恐怖感があった。それが日記を書いていた、いちばんの理由だった。書いて残しておきかった。

だから冒頭の一文をより厳密に言うなら、「書きたい」と思ったというよりも、「書いておきたい」と思っていた。

もちろん、すべてを書き残せるわけじゃない。

だけど、たとえば友人が「ありがとう」と言ってくれたとき、そこには「ありがとう」の言葉が発せられた事実だけじゃなく、そこに込められた友人の想い、言葉の背景、互いの心の動きがあるはず。忘れるということは、それを “なかったもの” としてしまうことだ。

せっかく友人がぼくに向けて丹精込めてこしらえた「ありがとう」を忘れてしまうのは、その友人の “想い” をなかったことにしてしまう。幼心ながらそんなことを思い、それがどうしようもなく怖かった。

「親も、友人も、あの人も、この人も、いつかは死んでいなくなってしまう。そのとき、この世にその人がいた事実や証が残せるのは、人の記憶のなかしかない。だから記憶から失われてしまったら、その人はいなかったも同然になる。そんなの嫌だ」

小学1年生ごろから、ぼくはこう思考するようになり、恐れるようになった。 

「いつかあの人が死んじゃったら、今日のことが消えてなくなっちゃう。今日のあの人を、知っている人さえもいなくなる。せっかくあの人が歩んできた人生が、世界から失われてしまう。だったらぼくが書いておかないと」

その日に会った人、話した人。心に残したい大事な人たちがいる。おそらく僕は、時間や、人の経験や思考、そのプロセスそのものを “この世界の資産” のように捉えていたのだと思う。

「忘れたらもうおしまいなんだ」

この思いは、ぼくを書くほうへ動かした。


 今では忘れることなんてたくさんある。なかなか定量化できるものではないけど、むしろ忘れないことのほうが少ないだろう。

だけど、幼き当時のぼくにとって、ここにある今を忘れることは、底知れない、なによりの恐怖だった。 

だから1時間も2時間もかけて、時の流れやそのときの思考、動き、感情の起伏、しぐさ、やり取りも、こと細かく一生懸命に書いた。

いつか読み返す未来の自分や、別の誰かでもちゃんとわかるように、より詳細に書いておけば、より鮮明にその “史実” が残る。思い出せる。

忘れたと思っていた記憶が脳内で鮮明に見える。映像やスライドのように蘇る。

それがぼくを安心させた。

このとき「書いていてよかった」と思った。


当時のぼくにとって「書くこと」とは、時間と思いを宝箱にしまっておくような作業だった。

その人との時間を失いたくない。

そう思ったとき、ぼくは書いた。これからも、また、書いていきたい。



ライター 金藤 良秀(かねふじ よしひで)


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