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#54【仕事に悩む全ての人へ】好きは仕事になるのか

好きと仕事について書きます
昨日休んだ分少し長いですが、

仕事とは何か。
好きは仕事にできるのか。
どうやって仕事を選べばいいのか。

これを読めば全ての疑問を解消できます。

なので是非ぜひお読みください。


1.好きは仕事になるのか

好きを仕事に

なんて標語をちまたではよく聞く。

しかし好きを仕事になんてできそうもないから人は困るわけである。

俺は好きを仕事にしているぞ。と声高に主張する人もいれば、

好きは仕事にならんから趣味にとどめている。と言う人もいる。

どちらも正しいように思うし、きっと正しいのだろう。

では聞きたい。

果たして好きは仕事になるのだろうか?


僕の答えはこうだ。

好きは必ずしも仕事にならない、
しかし好きは仕事に必要である。


どうやってこの一見矛盾めいた主張が飛び出すのか説明したいが、その前に「仕事」というものについて話したい。


2.仕事とは手段

仕事というものは端的に言えば「手段」である。「目的」ではない

例えば
病気で苦しんでいる人を助けるための手段が医者という仕事であるし

冤罪で苦しんでいる人を救うための手段が弁護士という仕事である

間違っても

医者や弁護士という仕事を目的と捉えてはいけない。

医者になることや弁護士になることが最終目的ではたまらない。

というのも、そこで燃え尽きてしまうからだ。

やりたいことがなくなった人生は無為なものであるので、本人もきっと不幸であるし、診断される人や弁護される人も不幸になる。

仕事を目的化すると皆が不幸になるのである。
(「東大までの人」なども同じような論理だとは思うが、それはまたいつか)

とにかく仕事は手段であり、目的になってはならないのだ。


しかし、なりたい職業を幼いころから尋ねられてきたからか、
多くの人は仕事を目的としてとらえ、その結果やりたい仕事がないなどとほざく。

もちろん、やりたい仕事がないという発言は見当違いだ。

仕事はやりたいこと、というゴール(目的)へつながる道(手段)であり、ゴールが決まってから定まる道にすぎないのだから。

僕たちはやりたい仕事ではなく、やりたいことを見つけなければならないのだ。


3.やりたいことが見つからない僕ら

やりたいことを見つけなければならないと言った。

しかしここが難しい

というのも、多くの人は「やりたいことがない」のである。

もちろん小さなやりたいことはある

それは「パンケーキ食べたい」かもしれないし、「拳で抵抗したい」かもしれないし、「性の喜びをしりたい」かもしれない

しかし小さなやりたいことがあっても、生涯をかけてやりたいことはないというのが大半の方の意見だろう。


4.やりたいことをみつけるために

ではどうやって本当にやりたいことを見つければよいのだろうか。

答えは好きを突き詰めればいい。

というのも、やりたいことは好きの延長線上にあるからである。

例えば、

あるミュージシャンがやりたい「バンド活動」はギター演奏という好きの延長だろうし

ある医者がやりたい「病人を助ける」は「しんでいる身近な人に知恵を与える」という好きの延長だろう。

このようにやりたいことは好きの延長線上にあるのだ。

もちろんすべての好きが本当にやりたいことへとはつながらない。

おいしいものを食べるという好きや本を読むという好き、旅をするという好きなど多くの好きのなかで、たったいくつかの好きがやりたいことへとつながっていくのだろう。

だからそのいくつかの好きを探すためにどんどん好きを試していく必要がある。

ゴールがわからない森の中で取り残されたとき、しゃがんでてはゴールは見つからない。とにかく歩いてみたら段々とゴールが見えてくるのである。

やりたいことを見つけるためには好きなことを行動をうつしたらよいのである。


5.まとめ

ここまでをまとめる。

仕事は手段であるため、やりたいことが定まってはじめて決まる。
そしてやりたいことを見つけるためにはそのタネである好きを行動にうつす必要があるのだ。


ここでようやっと回収できる

やりたいこと(≒好き)と仕事は異なるため、好きは必ずしも仕事にならない。

しかしやりたいこと(≒好き)は仕事に先立つため、好きは仕事に必要なのである。


6.好きが仕事になる人の特徴ー2typeの好きー

ここまで論を進めてきたわけだが、きっと疑問に思った方もいらっしゃるのではないだろうか。

実際に好きを仕事にしている人がいるじゃないか。野球選手や役者なんて好きが仕事になっているだろ。


確かにそうだ。この疑問を解消するためにはやりたいこと(≒好き)に2つの種類があることを説明しなければならない。


2種類というのは他人を巻き込むか自分で完結するかというものである。

具体例を挙げる。

まずは自分で完結する場合だ。

「野球をしたい」人が野球選手となる。
「舞台で演じたい」人が役者となる。
「教えたい」人が教師となる。

この時は手段(仕事)と目的が同一化している。

では他人を巻き込む場合だ。
「貧困をなくしたい」人は貧困選手にはならない。貧困をなくすために「寄付」や「ソーシャルビジネス」や「NPO」などの手段を模索し何かを選びとる。

この時、手段と目的は別である。この人が選ぶ手段はどれもやりたいことにつながるが、やりたいことではない。場合によっては辛いこともあるだろう。


こういうことだ。つまりやりたいことが「自分のこと(≒利己)」「他人のこと(≒利他)」かによって、「好きは仕事になる」「好きは仕事にならない」か決まるのだ。

7.本当のまとめ

まとめると

僕たちは仕事を見つけるために、
①好きから行動を起こし

②やりたいことを見つけ

③やりたいことを達成できる手段(仕事)を探す

この時にやりたいことがなければ、仕事を創ればいい(起業)。

とにかく既存の職業を目的にして行動するのだけは避けなければならない。

好きを行動にうつそう。

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