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【第4回】聖性論読書会レポート:吉本隆明『初期歌謡論』、折口信夫「⼤嘗祭の本義」ほか

 本記事は、近代体操による「聖なるもの」をめぐる読書会の模様を伝えるレポートである。本読書会の概要および過去のレポートは以下のリンクからどうぞ。(途中参加もお待ちしております。)

 第4回読書会(23.5.13)では、吉本隆明『初期歌謡論』および折口信夫の論考「⼤嘗祭の本義」「⽔の⼥」「神道に現れた⺠族論理」を扱った。

○吉本隆明『初期歌謡論』(レジュメ担当:武久真士)

 本書は、「戦後最大の思想家」として名高い吉本隆明(1924-2012)による詩論。吉本の広範な仕事のうち政治的な側面は、人文書院によって公開された小峰ひずみ氏による記事がくわしいが、今回の読書会では、みずから詩人でもあった吉本の、詩の問題に対する思考を追った。吉本は『初期歌謡論』について、「わたしの本の中では、いちばん読者が少ないという運命をたどった本で、異った意味でかくべつ愛着がふかい」と述べている。

 この本の主題は、『古事記』『日本書紀』から『万葉集』、『古今和歌集』までの古典の読解をつうじて、和歌や叙情がいかにして発生したか、を考察することである。現代の私たちにとってきわめて身近な存在である詩は、いかなる条件のもとで生まれてきたのか。吉本は歌謡の読解から、古代日本における詩の発生を問う。

 提起される仮説は、漢文化より流入した漢語によって、新たな詩的言語が生まれたというものである。つまり、日常的に使用されていた和語とともに、抽象度の高い概念を携える漢語が公的に用いられるようになり、両者の衝突による言語間の軋みが、律文を作り出したという。言語が、私たちに対して現実を自明に指し示すものでなくなったとき、詩は発生するのである。

 吉本は特に、詩における共同体的なものの表出に着目する。歌謡は、〈私〉の叙情であるだけではなく、〈私たち〉の叙情である。また、和歌の枕詞に登場する地名は、詠み手がその土地に行ったことを意味するのではなく、「共同の観念」として機能している。かくのごとき枕詞は、あるときは現実の共同体によって支えられていたが、次第に現実の共同体がなくても成立する「共同幻想」に変容しうる。

 では、そのような共同体の内部で、詩はいかなる意味を持っていたのか。吉本はこう指摘する。

和歌の本流はなにかといった場合、やはり自然の景物のなかに景物を深くくぐりぬけようとするあまり、極度に日常の感性からはなれてしまうほどの情感の表現を、最上のものとみなすほかはなかった。(360-361頁)

日常性からの離脱を目指すこのような和歌のあり方は、現代短歌のそれとは大きく異なるのではないだろうか。現代短歌は、むしろ日常性に足場を置きながら、共感可能な人々の間で共感をトートロジー的に生み出すだろう。

 共同体とポエジーの間には、切っても切れない関係が存する。ポエジーは私たちにとって回帰すべき共同体を創出する一方、あっさりとナショナリズムへと接続しうることが、武久によって強調された。私たちの読書会のテーマである「聖なるもの」(天皇、推し)も、共同体を基礎づけ、補強するポエジーとして捉えうる。その際、共同体の頂点に君臨するポエジーは、いかなる共同体どのように共同体の紐帯を生み出していくのかを、個別に観察する必要がある。


○折口信夫「⼤嘗祭の本義」「⽔の⼥」「神道に現れた⺠族論理」(レジュメ担当:石橋直樹)

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 ところで、古代日本における民族および宗教のあり方を知るにあたって、折口信夫(1887-1953)の著作を参照することは避けられない。今回は、広範な折口の著作の中でも、中期の権力論を扱った三つの論考を扱った。日本の古代宗教の特殊性が明かされるこれらの論考は、大嘗祭が敢行されながらも、三・一五事件に代表される思想統制が起こった時期(1928年)周辺に発表されており、明確な国家神道批判の意図を持っていることが特徴的である。

 毎年秋に行われる新嘗祭とは、その年の収穫を祝う宮中祭祀であるが、中でも天皇の即位後はじめて行われるそれを大嘗祭という。折口は、古代において秋祭り=新嘗祭の後に、客神が生命とその健康を祝福する冬祭りが行われていた点に着目する。「ふゆ」には、「分裂する」(「殖ゆ」)や「触れる」という意味があったが、古代の人々の考えによると、冬は生命エネルギーの源である「たま」(魂)を身体に付着させる時期であった。

 「大嘗祭の本義」では、天皇の身体にこの「たま」がいかにして入るのかが問題となる。有限な身体に、ある種の不変性を携えた何かが入り込むことで、天皇は権威を獲得するのである。折口は、そのような「たま」の一つとして「天皇霊」を位置付ける。すなわち、不変かつ一貫した「天皇霊」を身体に付着させることで、歴代の天皇はそれぞれ異なる肉体を持つにもかかわらず、同一の神格を宿すのである。

 また、神性の伝達として「みこともち」の思想が取り上げられる(「神道に現れた⺠族論理」)。みこともちとは、神の言葉すなわち神言を伝達する者であり、最上位の神から天皇を経て、下位の豪族へと降りていく性質を持つ。つまりこれは、神言を天皇から下位の共同体へと言い伝えるシステムであり、みこともちが言葉を唱えるとき彼/彼女は、「其唱へ言を初めて言ひ出した神と、全く同じ神になつて了ふ」のである。

 みこともちのシステムは、神および天皇を頂点とした一つの権力組織を形成するが、伝達の際には媒介項(「水の女」や中臣氏)が入ることで、入れ子状の三項関係が生まれることを石橋は強調する。三項関係が構成される一つのメリットは、各共同体に存する地元の神々を尊重しつつも、それらを一つの権力構造に配置することができることにある。かくのごとき権力空間の構成の問題系は、のちに上野千鶴子(『構造主義の冒険』)そして絓秀実(『小説的強度』)によって引き継がれることになるだろう。

 広くまとめると、今回の読書会で扱った二人は、ともに日本における「聖なるもの」の発生を問題にしていた。吉本における詩的言語の発生への問いも、「たま」を生み出す言語的な条件と接続されうる。後期の折口は、祖先崇拝的な神道観に反対し、「たま」を支配する「むすび」の霊力によって、国家に依らない神道を復刻させようとしていた。つまり折口は、神道に宿る「聖なるもの」の純化を試みたと言えるだろう。起源は不明でありつつも、「たま」は祭りを始めとする習俗によって、その存在論的地位を確保する。それは、枕詞や韻律による反復が、ポエジーという実体を生み出すことと類比的かもしれない。


(文:近代体操同人、安永光希)

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