小川洋子さんの「最果てアーケード」を読みました。
読み始めからしばらく、人が「記憶」や「思い出」を今の世界で現出させようと願うときに、その案内人や同伴者を求めてやってくる場所が最果てアーケードなのかな?と解釈してました。
その「記憶」や「思い出」たちは、悲しく切ないのですが、「記憶」や「思い出」にありがちな、美化された追憶にとどまらない登場人物たちの感情を思えば、あたかもあの時の想いを繰り返し今体現させてくれる、現空間のすぐ隣にある空間へいざなう入り口の番人たちの存在する場所を求めてここにきているのではないかと思い直しまし