なんじゃ

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最近の記事

村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。

世の中における「普通」という概念は、場所によって世代によってまたコミュニティによっても違いがあり、案外範囲のひろいものである。 「生きている意味」とか「生きる価値」とか「主義主張」とか、人が人生のある地点で悩みがちな難しい概念は横に置いておいて、「普通に生きる」という言葉にすると単純な概念を、常に追わなくてはいけない人はどれくらいいるのだろうか? 実は相当数にのぼるのではないかと思っている。 存在意義というものは、自分にはよくわからない。 外からその人の存在意義を定義され

    • 近藤史恵さんの「それでも旅に出るカフェ」を読みました。

      まあ、何というかコロナ禍の日常に、そしてカフェで過ごす日常に、上手に各種非日常のエピソードをのせた読みやすい文章でした。 女性視点で、生きることや生活することの楽しさ、苦しさ、難しさがクローズアップされています。 とても自然にエピソード化されているものの、本来とても重い課題に、主人公なりの解決策を見つけて、淡々と生きていくさまが、文章に過度な重苦しさを与えずに済んでいるのだと思います。 女性視点ではあるものの、「人間として」共感できるところも多く、以前ドラマ化された近藤さ

      • 篠田節子さんの「ホーラ ー死都ー」を読みました。

        舞台は不倫関係にある男女の訪れたエーゲ海の小島でした。 日本は多宗教というか無宗教の人が多い気がしますが、宗教によって成り立ち、支えられ、生活の一部になっている人々が、少ないわけでもないと思います。 歴史的な話はさておき、この作品では、人の本質的な役わりというか、人に与えられた能力というか、そういうものに対して人がどうむきあうか?ということに主眼が置かれていると思われました。 30代の後半から40代の前半にかけて、自分が何もできない人間だという想いに苛まれたことがありまし

        • 島本理生さんの「あられもない祈り」を読みました。

          紅く細い糸でつながった密かな恋・・・。 切れそうで切れない運命のつながり・・・。 息苦しいほどに探り合う感触の奥に隠れた気持ち・・・。 とても深みのある表現が連ねられているにも関わらず、読了の感想は「平坦な文章」・・・でした。 静かに僕の心をノックして、検証するように経験を引き出していく・・・。 フィクションとしてではなく、過去の自分の経験が形を変えて、主人公の思考に共感しているのだと思います。 恋をする心というよりは、人を、愛情を求め彷徨う心を、一方通行ではない含みをも

        村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。

          谷村志穂さんの「尋ね人」を読みました。

          人の「想い」の描写がなかなか特徴的な文章でした。 若かりし頃、何度も消えたくなったことがありました。 身体の不調、心の不調、孤独感・・・がベースにある厳しい生活、満たされない心。 理由は一つではなく、いろんな感情と現実的な問題が重くのしかかった状態に生きる気力を失くしたり、生きることに絶望したり・・・・。 現実に家を飛び出して、何か月も帰らなかったり・・・。 そういう人が少なくはないことを知っていても、飛び出したところで、その状況が劇的に変わることなどないのをおもい知らさ

          谷村志穂さんの「尋ね人」を読みました。

          白石一文さんの「ここは私たちのいない場所」を読みました。

          一人で生きる意味を考えさせられました。 そして二人でいる意味、家族でいる意味を考え直しました。 良きにつけ悪しきにつけ、夫婦は同じ方向を向くべき? いやいや、パートナーに対するスタンスが同調や別の歩みを決める? 理由は十人十色であるが、一人が好きな人もいる。 でも、一生100%一人が好きな人は見たことがない。 ある時期に、心は変化して人を求める。 何に重きを置き、何を貫くのか? その人にしかわからない? いや多くの人が自分自身でも迷いながら、葛藤しながらその選択を日常的に

          白石一文さんの「ここは私たちのいない場所」を読みました。

          村上春樹さんの「海辺のカフカ」を読みました。

          今回の村上さんの作品は何しろ理解できない部分が多いというか、意味や状況をとらえきれないところが多いというか・・・。 なーーんて、難しい印象があるにはあるんですけど、村上作品のとっかかりになった「1Q84」や「ノルウェイの森」は比較的平易な文章で書かれていて、時系列や登場人物の人間関係はかなりわかりやすかった印象でした。 なので印象に従い、あまり気にせず、読み返しもせず、そのとき頭に浮かんだ感覚を味わいながら、ゆっくりとちびちびと読み進めました。 ちょっと不思議ですが、一

          村上春樹さんの「海辺のカフカ」を読みました。

          白石一文さんの「火口の二人」を読みました。

          男女の機微を描いた小説なのか?と思いきや、もっと本質的な人間の欲望というか赤裸々な欲望を描いた小説と言った方が良いのかな?と思いました。 人間関係、生活環境、社会事情いろいろあるにしても、結局のところ欲望が満たされないと、その欲望に引き寄せられていくのだと、近頃実感しているところへ、同じような内容の著書に出会ってしまいました。 現実社会で欲望のままに生きることなんてできないけれど、それを抑え込みすぎると自分が自分でなくなる感じがずっとしてました。 かといって、今ある生活

          白石一文さんの「火口の二人」を読みました。

          窪美澄さんの「朔が満ちる」を読みました。

          虐待やDVから始まった当事者たちの人生と心模様を描いたものでしたが、もう一つの過酷な人生をたどった登場人物の人生と心模様がリンクして、共感の中に生きることの厳しさと希望が混在する細やかな心理描写にうならずにはいられませんでした。 理不尽な暴力に対抗することが罪だというのならば、救いはどこにあるのか? その対抗措置はどこからどこまでが許されるのか? そして、対抗措置を罪と意識するならば、その罰を受けるべきか? いくつもの葛藤と戦いながら、普通に生きることが許されないと感じな

          窪美澄さんの「朔が満ちる」を読みました。

          鏑木蓮さんの「見えない鎖」を読みました。

          終始ある女子短大生の目からみた世界を描いていました。 自分とは違う立場の人から見た世界を理解できるのか?という疑問が頭をよぎりながら、それでも読み進めが容易だったのは、人間同士通じる感情がクローズアップされ続けていたからだと思います。 不幸な身の上・・・というと幅が広すぎますが、家族の崩壊によって幼い頃に母と別れ、大人の入り口で父と死別する・・・・。 原因はさておき、誰の身にも起こりうる別れ・・・・。 誰しも一人では生きていけないのは当たり前で、多くは自分が選択した社会関

          鏑木蓮さんの「見えない鎖」を読みました。

          小川洋子さんの「最果てアーケード」を読みました。

          読み始めからしばらく、人が「記憶」や「思い出」を今の世界で現出させようと願うときに、その案内人や同伴者を求めてやってくる場所が最果てアーケードなのかな?と解釈してました。 その「記憶」や「思い出」たちは、悲しく切ないのですが、「記憶」や「思い出」にありがちな、美化された追憶にとどまらない登場人物たちの感情を思えば、あたかもあの時の想いを繰り返し今体現させてくれる、現空間のすぐ隣にある空間へいざなう入り口の番人たちの存在する場所を求めてここにきているのではないかと思い直しまし

          小川洋子さんの「最果てアーケード」を読みました。

          白石一文さんの「光のない海」を読みました。

          主人公の社長という立場にやや引っ掛かりを感じるのは毎度のことである。 リアリティを感じられるのか? 同様に芸術家や芸能人、政治家などが主人公であっても同様の引っ掛かりを感じるのです。 ただ、帯に書かれた言葉をよくよく読んで、リアリティに結び付きそうな単語が多くて引き寄せられた感じでした。 その予感は正しく、共感や納得の連続で、孤独であるものが「孤独」に吸い寄せられていく様を、自分の中に発見した感じです。 その根本的な理由を端的に表してる言葉が文中にありました。 「どんな人

          白石一文さんの「光のない海」を読みました。

          瀬尾まいこさんの「幸福な食卓」を読みました。

          爆弾2つ・・・。 主人公が背負うあまりにも気の毒な運命・・・。 最初の爆弾は家族の自殺未遂。 周囲の人の力を借りて、どうにか乗り切る主人公は、まだ大人社会の複雑な波間にはいないけれど、多感な少女時代をその影響からなんとか立ちなおった・・・その矢先・・・。 最初の爆弾から立ち直るために一役も二役もかってくれた、友人(彼氏)の死という爆弾によってどうにもならない心の痛手を負ってしまった。 そういう状況を乗り切る明るい兆しを見せて、物語は終了するのですが、なんとも深い悲しみを引き

          瀬尾まいこさんの「幸福な食卓」を読みました。

          平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」を読みました。

          平野さんの著書は、順番は忘れましたが、「マチネの終わりに」、「かたちだけの愛」、「高瀬川」と読ませていただきました。 いずれも、深い思考と現実感をうまくミックスした恋愛小説ともとれるし、人生観に照らした性の表現ともとれるし、感情の動きのとらえ方が、驚くほど精緻な文章だなぁと感じたことを憶えています。 今回の著書は死生観をベースにして幸福の意味を考えさせられるものでした。 相変わらずの精緻な文章・・・。 はじめてこの類の驚きを心底感じたのは、上橋菜穂子さんのファンタジー「守り

          平野啓一郎さんの「空白を満たしなさい」を読みました。

          川上弘美さんの「どこから行っても遠い町」を読みました。

          相変わらず、親しみやすい文体と場面展開・・・。 川上さんの作品を読ませていただくときにいつも思います。 内容は家族の死や不倫や結婚や恋愛などで、日常茶飯事というか、どれも現実的で生々しいものに感じました。 ちょっと複雑な人間関係も美化せず、淡々と描いてるところが、誰しも孤独や寂しさを埋める術を探し求める真実をうまく表現してらっしゃるなぁと感じます。 そんなことを考えてるときに、ちょうど回してた洗濯機の脱水が止まりました。そしたら、つけ置きして予洗いした後、普通に洗ったズボ

          川上弘美さんの「どこから行っても遠い町」を読みました。

          島本理生さんの「夜はおしまい」を読みました。

          はじめての作家さんでしたが、鋭く心をえぐるような言葉の数々が印象的でした。 著名な賞を受賞されてる作家さんみたいなのに、まだまだしらない方が多いなぁ(@_@;) 文中に難しい言葉はあまりなく、平易な言葉の連なりに気持ちがひきつけられ、女性であるがゆえの心の闇を、否、男性にも通じる人間としてのさがのうごめきを、強烈に印象付けられた読書となりました。 例えば、官能について・・・喜びではなく悲哀を表現しているとか・・・。 性の解放ではなく心の解放の手段として表現しているとか・・

          島本理生さんの「夜はおしまい」を読みました。