山崎ナオコ―ラさんの「この世は二人組ではできあがらない」を読みました。

人間の社会性・・・ざっくりいえばそんなテーマだろうか・・・。
著者の言葉を借りれば、「人間は遺伝子の乗り物ではなく、文化ののりものである」
少し解釈を加えて、・・・社会的な居場所において、「自分を知らない人ばかりでも、自分は受け入れられる」
もう一言借りるとすれば「世の中のみんながみんな自分の人生を生きなくてはいけないのか?幸せになる義務はないはず」

僕がいままで考えていた社会性とは似て非なるもの・・・・。
決して二人が核になるわけではなく、核である社会の一構成員として、皆でかかわり、しかし個が独立し、お互いの感情の意味を知り、それをもって人と関わる。
誰かのためだけはなく、不特定多数と緩くつながる。
パートナーや家族を重んじる人たちには到底受け入れられない理屈かもしれないが、僕にはその方がしっくりくる。

とても孤独感がつよいのに、一人で生きたくなる。
今いる場所から移動して、緩く社会とつながれる場所に行きたくなる。
ここ何年も同じことを考えていたが、どうやら、そもそもの社会性のとらえ方を、自分ではっきり認識していなかったのかもしれない。

山崎さんの紡ぎ出す言葉の多くに、感性も理性も、理想も現実も、他者も自分も否定しない生のあり方が溢れている。
人の持つ社会性に関して、目からうろこが落ちたような気分の読了でした。

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