村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。

世の中における「普通」という概念は、場所によって世代によってまたコミュニティによっても違いがあり、案外範囲のひろいものである。

「生きている意味」とか「生きる価値」とか「主義主張」とか、人が人生のある地点で悩みがちな難しい概念は横に置いておいて、「普通に生きる」という言葉にすると単純な概念を、常に追わなくてはいけない人はどれくらいいるのだろうか?
実は相当数にのぼるのではないかと思っている。

存在意義というものは、自分にはよくわからない。
外からその人の存在意義を定義されても、自分が納得できなければ、意味をなさない言葉だと思う。

であれば、「普通に生きようとする自分」にはどんな存在意義があるのか?
見つかれば、生きる支えになるし、見つからなければ、さがし続けることになる。

実存の問題として、「自分の居場所」や「社会とのつながり」を多く持っている人と少ない人では、自尊心の強さが違う。
でも、1か所「自分の居場所」があれば、1か所「社会とのつながり」があれば、自分を粗末にせずに何とか生きていけるのは、実感するところでもある。

主人公は自分とは共通点が少ない36歳の未婚女性だが、仕事に対するコミットや世間に対するコミットの仕方に大いに共感できる考え方を持ち、一般的な概念としての仕事や、普通の生活に必要な考え方からはみ出た同類として、大いに親近感をおぼえた次第です。

少し、心が軽くなった気がしました。(^^♪

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