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統合失調症と診断された私の実体験から語る 「幻聴さん」 との付き合い方



0. はじめに



皆さんは「幻聴」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?
文字通り、幻を聴くと書いて幻聴
実際の声ではありません

私が19歳から今まで「幻聴さん」とどうやって一緒に暮らしてきたのか
簡単にまとめてみました



1. ソレはいきなりやって来た



少し、昔に戻ります
私が高校生の頃
私は高校受験に失敗して、滑り止めで受けた私立高校の特進クラスに入学しました
特進クラスというだけあり、勉強尽くしの高校時代を過ごすことに

大学受験は、今度は絶対失敗できない!
そんな思いから、高校2年生に入った頃から私は学習塾にも通い、毎日11時間は勉強をする日々を過ごしました
その甲斐あって無事に第1志望の公立大学に合格!
初めて生まれ育った県を離れて京都で一人暮らしが始まることになりました

とにかく、楽しみで楽しみで仕方なかった
どんな新しい世界が広がるんだろう!
そんなワクワクの中キャンパスライフがスタートしました
でも、そんなハッピーな日々はそう長くは続かなかったのです


大学入学から半年ほど経ったある日の休日
私は朝からものすごいだるさを感じていました
その日はアルバイトが入っていましたが、あまりの体調の悪さに休みますとバイト先の神社に連絡
ベッドに横になり、体を休めていました


すると、何か遠くで声が聞こえる
それがだんだん機械のボリュームを上げていくように大きく鮮明に聞こえてくる
低い男性の声でした
大きくなってくると、その声が私の誹謗中傷を喚いている事にすぐに気づきました


正直、最初は夢かと思いました
ですがその声はその時から休むことなく私に向かって誹謗中傷を言ってくるようになったのです
これは、夢じゃない
現実だ!
この人は誰?
そんな疑問を持ちました

大学に通っている間もとにかく私の悪口が延々と聞こえてくる状態でした
そのため、周りにいる全ての人から敵意を向けられている
そんな感覚を覚えてしまい
怖くて怖くてたまらなくなった


気づくと、テレビからも私の悪口をニュースで読み上げられてるように感じ
テレビを一切見なくなりました


外出するのも怖くて仕方ない
そのうちに私は
世界中の人が私を嫌っていて、その声がこうやって聞こえてきているんだ
聞こえているということは、私の考えていることも筒抜けになっているんだ
という考えで頭がいっぱいになりました


ここから、私と幻聴さんとの奇妙な同棲生活が始まりました

 

2. だんだんだんだん壊れていく感覚



だんだん、自分が壊れていく
そんな感覚を覚えました
そんな私の様子を最初に察知したのは母でした
この頃になると、私は


死にたい


と、口癖のように言うようになっていたそうです
なぜ  " そう "  と書いたかと言うと、私にはこの頃の記憶がほぼありません
このままではいけない!と思った母はすぐに私を連れ戻し、地元のメンタルクリニックに連れて行きました


そこでの最初の診断名は「抑うつ状態」だったそうです
母はまずこのクリニックで看てもらい、その後有名な精神科のある病院に繋げてくれました
私はこの時薬を処方されていたのですが、それすら飲み込めないほど疲弊していたそうです

そして、その精神科にすぐに入院になりました
その頃の私は表情が無く、感情も一切消えていたそうです

入院してから、だんだん症状が落ち着いていきました
でも、相変わらず幻聴さんはずーっとしゃべり続けていました
その病院では私の診断名が変わり
「統合失調症」と診断されました


でも、私は少し安心していたんです
なぜなら、このつらさの正体を知ることができたから
約1ヶ月間の入院生活を送りました
その間になぜ、私が統合失調症を発症したのか?
をヒヤリングなどから原因を探りました

●結論
学生時代にいじめにあっていたこと
高校受験の失敗やそれに伴う高校生活でのストレス
検査で判明したASD
これらが大学進学による環境の変化が引き金になって弾けてしまった
ということだそう



3. 厄介な相棒



退院してからも、まだまだ声は聞こえてくる
毎日聞こえてくる
時折不安定になってしまう
そんな時は京都から実家に帰り休養する
そんな日々を繰り返しました

大学は入院や休養もしていたので、1年間留年
それでもなんとか卒業しました
第1志望だったから何としてでも卒業はしたかった
私の意地でした

大学を卒業したのはいいけれど、症状が安定せずなかなか働けない日々が続きました

そのため、地元の就労継続支援B型事業所に通所することに
始めはここからでした
B型事業所に通所しながら、毎日聞こえてくる声と
どのように向き合うのか、試行錯誤の日々でした


19歳からもう何年も毎日同じ低い男性の声で誹謗中傷を言われる日々
でも、なんとかしなければ働くことはできない
私が選んだのは、共に生きることでした


私はとても運が良く、とても相性の良い主治医と出会えました
精神疾患の良くなるかどうかの大部分を占めるのは

自分と相性の良い主治医と出会えるか

だと思います
私の主治医の方針は症状を治すのではなく
共に生きること
これを実践できるまでに10年近くかかってしまいました
なかなか、手強い相手だ!


服薬治療をずっと続けていて、症状は軽減されても消えることはありませんでした
だから私は幻聴さんを否定することをやめました
悪口を言われて、それに反論しても仕方ない
だからそれを受け流す方法を模索し、今は成功しています
絶対に言われたことに反論せず、否定もしない
どうしても気になるなら、聞き返す


あなたはそんなこと言うけどさ
なんでそう思うの?
教えてくれる?


なんて、まるで会話しているみたい
厄介な相棒と

相棒だから私は、 幻聴さん  と呼ぶことにしたのです
おそらくこの先も幻聴さんの声が聞こえなくなることはないだろう
だって19歳から毎日話しかけてくる
相当なかまってちゃんだから


この先も、私はこの厄介な相棒と一緒に生きていく
否定はしない、反論もしない
また言ってるなー
って、流す
でも、どうしても気になるなら少し話しかけてみる
このやり方で私は生活の安定を手に入れることができた
そして今は正社員として働くまでになれました



4. 幻聴で苦しんでいるあなたへ



以上のことは私が実体験して、実践してきた事です
もしかしたら、苦しんでいる皆さん全員には当てはまらないのかもしれません
でも、幻聴で苦しんでいて、少しでも楽になりたい
そう思う方
まずは否定をやめてみませんか?
一緒に生きることを試してみませんか?


時間はかかるかもしれません
でも、私は今とても気分が楽になりました
厄介な相棒と私は生きている
そう思うと、少しだけ世界が違って見えました
これからも私は幻聴さんと一緒に生きていきます


もし、今がつらくてつらくて仕方ない
そんなあなたのお力に少しでも私の記事が
お役に立ちましたら
大変、幸せに思います


厄介な相棒と生きている私より


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