改心の料理

昨日は実家に帰って、手料理を振る舞う。

普段の猫の額ほどの台所ではなく、やや広い台所にも関わらず、環境の変化のせいか少し手間取る。

なんとか作り終わり、家族四人で食卓を囲む。
家族といえども若干の緊張。
心の中でじっと感想を待つものの、母を除いて、父も姉も何も言わない。

これはなんだ!?これまではうまいね!とか一言があったのに。

肝心の味は極めて普通だった。自分的にもああ普通だなと感じた。

たしかに普通なものに対したときに何も言わないのは合理的な判断だけど、まずくなければ思ってなくても美味しいと言ってほしい。

人のためにご飯を作るのは、大変だ。母は偉大だなと思う。

むしろここで翻って自分の態度を省みると、昔は母の作ってくれた料理がイマイチだとはっきり苦言を呈していた。

とくに新しいチャレンジ的なメニューで味が微妙なときには、なんでだよ!?なぜ長年みんなに親しまれたうまいとわかっている鉄板の調理法があるのにトリッキーなものに挑戦してしまうんだよと責めてしまっていた。

海原雄山なみに傍若無人だった。メロスがいたら激しく糾弾されたことだろう。

母はどんな気持ちだった?今ならわかる。ムカついたはずだ。腹わたが煮えくりかえっていただろう。傷ついてさえいたかもしれない。申し訳ないことしたなぁ。

それは作り手を経験したからこそ気づけたことだ。

きっと人は経験を積むことで、学び、人に優しくなれる。むしろ、経験しないと、その立場になってみないと、絶望的に本当の気持ちなんてわからない。

だから少しでもいろいろな経験をしたい。

メニューは回鍋肉、小松菜とツナ、トマトの和え物。


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