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半藤一利「昭和史」を読んで、報道は不自由でないといけないと思った

半藤一利さんの昭和史を読んでいる。
まだ序盤ではあるけれど、昔学校で習って、聞いたことはあるけどよくわかっていない昭和の歴史の事件-5.15事件とか満州異変とか-のことが半藤さんがみてきたかのようなわかりやすいしゃべり言葉で教えてくれて実にわかりやすい。

舞台裏をのぞいているような面白さがある。

最終的にどうなるかを知っている神的な視点から見ているので、あーそっち行っちゃうかー、だからダメなんだとと行った感じで突っ込みながら読むのも面白いと思う。

いろいろと気になる点はあるけど、印象に残ったのは、最低でも満州事変らへんまでは日本国民はガンガン戦争を望んでいたんだなぁということ。

本を読む前までは、国の偉い人が勝手に戦争を始めて、国民は強制的に戦争に加担させられていた感じなのかなというイメージがあったけど、本著を読むとそうでもない。

確かに軍隊の暴走ではあるんだけど、国民も変な熱気で戦争を推進していたことがよくわかる。

で、さらに怖いのが軍隊が新聞というメディアをよいように使って、国民を味方につけていたこと。

自分たちの提灯記事を書いてもらって、国民たちを焚きつけて行った。

でも、ここで重要なのは新聞社は強制されたり、脅されて戦争を後押しする記事を書いたわけではないということ。

決して報道の自由を封じられた結果ではない。

むしろ報道の自由の中で、新聞社が自らそういう記事を書こうと決めて書いてる。

なぜか?

儲かるから。

戦争が進めば進むほど、日本の軍隊が活躍すればするほど、国民は盛り上がり、新聞を買っていく。

それに軍隊は結構新聞社の記者に接待をしたりしていた。

そして量産された記事は国民を煽って、国全体がおかしくなっていく。これってすごく恐ろしいことですよね。

報道の自由だけじゃダメなんだと思った。

むしろ報道の不自由がないとダメだ。

弱い、誘惑に簡単に負けてしまうのが人間だから。何か縛ってくれるようなものがないとダメだ。

それがなんなのか、何が最適なのかはわからないけど、今思いつくのはジャーナリズム精神だとか、倫理感というものなんじゃかと思う。

確かに売れるけれども。

接待されたら嬉しいけど。

新聞屋としてそれをやっちゃおしまいだよねという倫理観とジャーナリズム。これを忘れたとき、国はおかしな方に向かって暴走していく。そしてマスコミが加速させていく。

マスコミが果たす役割は大事だとは思いつつも、普段暮らしているとあまり意識しなくなるけど、本書を読んで、いかにまともなマスコミを存在させておけるかで戦争という犯罪行為に手を染めるのか、踏み止まることができるのかその明暗を分けるのではないかと痛切に感じた。

あとは国民一人一人の意識も大事。

結局売れるから書くわけで、国民が戦争なんて言語道断って思っていれば、新聞だってそうそう煽れない。

でも人間は弱いものだから、不景気とかで貧しくなると安易な解決策に身をゆだねたくなってしまう。

自分の見えないものに対する想像力を簡単に忘れてしまう。

だからこそ、今のうちから、侵略戦争とかしちゃっていない今のうちから、自分含め多くの人が昭和史を読んで、この国であったことを学ぶことが大事だと思う。

同じ失敗を繰り返さないことができるかもしれない。

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