大腸無いのに摂食障害3
こんにちはー
今日も昨日の続きを書いていきたいと思います。
手術は結果からいうと、成功しました。
2日連チャンでの、大手術。
2日間殆んど手術室にいました。
もう、しんどいを通り越していましたが、外科の先生の方がしんどかったと思います✨
殆んど女医の先生一人でやっていました。
本当に感謝です。女医の先生に出会っていなければ、私は本当に死んでいたと思います。
そして、僅かに残していた大腸も全て摘出。
今は小腸のみの状態となりました。
ただ、長期に渡る手術が原因で、片足に麻痺が残り。
暫く、リハビリが必要となりましたが、些細な問題です。
むしろ、皮膚の損傷が酷くて、毎日痛みで眠れない方が大変でした。
小腸の位置も全て女医の先生によって、変えられたので、お腹の中がひっくり返されたような違和感は今でも忘れられません。
内臓をかきまわされた感覚ってやつですね。
麻酔みたいな強烈な睡眠薬を、直に点滴で流して眠りました。
退院出来たのは、高校の卒業式から過ぎた夏。
私は同年代の友達より2年遅れた人生を歩むことになりました。
二十歳の誕生日も病院で過ごしました。
ですが、私は本当の意味で体の自由を取り戻したのです。
身体障害者三級から四級に下げてもらい。定期的な痛みのある処置は欠かせないものの。
小さい時からしていた毎日の処置からも、ストマーからも解放されました。
さぁ、これから新しい人生の始まりだ。と思うでしょう?
しかし、幼稚園から続いたいじめ。親の厳しい教育。長い入院生活により、私の心はすっかり壊れてしまったのです。
あまりにも深い傷過ぎて、今でも治っていないからこそ。
「自分の心」に手をやいています。
テレビに出てくるような、どん底からの大逆転のようにはいかないと、しみじみ思い知らされました。
例えて言うなら、戦争に行って帰ってこれたものの。いつまでも立ち直れない。飲んだくれてるオヤジと一緒です。
もう過去のことなのに、今の出来事のように脳裏から消えません。
長い入院生活の中、沢山自分と格闘してきたはずなのに。
他の人より自分のことはよく分かっているはずなのに。
ずっと苦しいままなのです。
どうやったら私は本当の意味で解放されるのでしょうか。
病気になったことも全て悪かったとは思いません。
色々なことがあったからこそ。今の自分がいるのです。
それに意味があると思いたい。
あんな辛いことがあったからこそ、今の自分になれた。
そんな「私の本当の生き方」とは一体なんなのでしょうか。
私は高校の時、二十歳の時、友達や社会と向き合う余裕がなく。
自分のことばかり考えていました。
それも考え方を変えようとしたのではなく、忘れようと必死でした。自分の悪い部分から目を反らし続けて、言い訳にして、病気のせいだと片付けてきました。
自分は障害者だけど、障害者じゃない。そう言いきってきたくせに。
誰よりも自分は障害者だからしょうがないと、どこかで言い訳にしてきたのです。
それも良くなかったのかなぁ。と今では思います。
張りぼてな夢だけに、本気に頑張れたことがありません。
自分の体を治すことだけが、私の生きがいみたくなっていました。
もう、治す必要がなくなると、気が抜けてしまったように、何を取り組む気になれないのです。
高校や二十歳の時に、人生で使う全ての根性を使いきってしまったような脱力感。
5年くらいは生きた心地がしませんでした。
保育の専門学校では気が抜けすぎて、どうやって頑張ればよいのかも分かりませんでした。
ずっとふわふわした心地が気持ち悪く。張りぼてな夢に怯えて過食に走り。
今でも過食は続いています。
暫くはこの安寧な日々を満喫しても悪くないと言い訳してきましたが、いざ大人になって社会に出てみればそうはいきません。
私はまた頑張らなくてはならない。
それが凄く気が重いのです。
もう何も頑張りたくない。と今でも引きずっているのです。
そこから今、抜け出す時が来たのかもしれませんね。
これからどんな答えを出していくのか。皆さんも見守っていてください。
それではまた明日~✨
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