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JW426 再びの旅路

【崇神経綸編】エピソード1 再びの旅路


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前47年、皇紀614年(崇神天皇51)の春。

ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

地図(磯城瑞籬宮)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、東国鎮定(とうごくちんてい)の報せが届いていた。

奏上(そうじょう)するのは、ミマキの伯父、大彦(おおひこ)である。

系図(大彦)

大彦「義理の父が抜けているんだな。それがしは、大后(おおきさき)の父なんだな。」

ミマキ「伯父上・・・。それより、東国鎮定に、三年近くかかったということですかな?」

大彦「それは、おかしいんだな。伝承に、具体的な年代は書かれてないんだな。」

ミマキ「・・・ということは、これは、作者の陰謀ということか・・・。」

大彦「紀元前47年、皇紀614年(崇神天皇51)に、何かあったとしか考えられないんだな。」

するとそこに、豊鍬入姫(とよすきいりひめ)(以下、きぃ)が、やって来た。

系図(きぃ)

きぃ「大王(おおきみ)・・・。申し訳ありませぬ。この年の出来事は、私に関わることなのです。」

ミマキ「も・・・もしや、天照大神(あまてらすおおみかみ)こと『アマ』様が・・・。」

きぃ「その通りです。鎮座(ちんざ)すべき地を探して欲しいと・・・。」

ミマキ「な・・・なんということじゃ。再び、国中(くんなか:奈良盆地)から去ると申すか?」

衝撃の発言を聞いて「ミマキ」が驚愕していると「ミマキ」の妃で「きぃ」の母、遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)(以下、アユ)が、駆け込んで来た。

系図(アユ)

アユ「ちょっと待ちなさいよ! 息子の豊城入彦(とよきいりひこ)こと『トッティ』と、可愛い孫の八綱田(やつなた)こと『つなお』ちゃんと、離れ離れの暮らしなのよ! この上、可愛い『きぃ』ちゃんまで・・・。なんで、いっつも、私ばっかり『貧乏くじ』引いてんのよ!」

きぃ「は・・・母上。致し方ありませぬ。私は『アマ』様の御杖代(みつえしろ)ですから・・・。」

アユ「だ・・・だって・・・(´;ω;`)ウッ…。」

ミマキ「そうか・・・。良いことを思いついたぞ。」

大彦「それは、何なのかな?」

ミマキ「アユ・・・。汝(なれ)の実家、木国(き・のくに)に行けば良いのじゃ。そこに、鎮(しず)まるべき地が有るかもしれぬ。そこなれば、汝も付いて行くこと能(あた)うであろう?」

アユ「大王! 頭いいじゃない! さすがは、私の見込んだ男だけあるわね!」

ミマキ「そ・・・そうか?・・・(〃▽〃)。」

大彦「大后が見てたら、やきもちを焼くと思うんだな・・・。」

ミマキ「うっ・・・。で・・・では『きぃ』『アユ』! 木国に行って参れ!」

こうして「きぃ」たちは、木国に向かった。

ちなみに、木国は、現在の和歌山県である。

地図(木国へ)

アユ「・・・ということで、着いたわよ。」

きぃ「えっ? もう着いたのですか?」

アユ「紙面の都合ってヤツね。じゃあ、木国造(き・のくに・のみやつこ)に挨拶しないとね。それでは紹介します。私の従兄弟、大名草彦(おおなくさひこ)こと、草彦(くさひこ)です!」

系図(草彦)

草彦「アユ・・・。汝(なれ)まで来るとは聞いておらぬぞ!」

次回、木国の鎮座地について語られる。

つづく

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