JW415 児玉石神事
【東国鎮定編】エピソード6 児玉石神事
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
崇神天皇の皇子(みこ)、豊城入彦(とよきいりひこ)(以下、トッティ)は東国へと旅立った。
付き従う者たちは、下記の通り。
トッティの息子、八綱田(やつなた)(以下、つなお)。
大伯父の大彦(おおひこ)。
そして、多建借間(おお・の・たけかしま)(以下、カシマ)。
采女筑箪(うねめ・の・つくば)(以下、つっくん)である。
一行は、甲斐国(かい・のくに:現在の山梨県)にて、大彦の孫、武川別(たけかわわけ)(以下、ジュニア)を訪ねる。
そこで、科野国造(しなの・のくに・のみやつこ)に任じられた、多武五百建(おお・の・たけいおたけ)(以下、イオ)に出会ったのであった。
イオ「しまった! 肝心の勾玉(まがたま)が、抜(ぬ)けておったわ!」
トッティ・つなお・大彦・ジュニア・カシマ・つっくん「勾玉?」×6
イオ「左様! 増えたり、減ったり、面妖(めんよう)な勾玉にござる。」
つなお「勾玉が増えたり、減ったりするじゃと? 一体、何の話をしておるのじゃ?」
イオ「これは、うっかりしておりもうした。我(われ)は、長野県長野市の松代町東条(まつしろまち・ひがしじょう)に、玉依比売命神社(たまよりひめのみことじんじゃ)を建てたのでござる。そこに、六十個の勾玉を納めて神宝としたのでござる。」
大彦「して、その勾玉が、増えたり、減ったりするのかな?」
イオ「左様。勾玉は『児玉石(こだまいし)』と呼ばれ、これを用いて占いをしておりまする。」
ジュニア「占いの時に、玉の数が変わると申されるか?」
イオ「左様。玉が増えていれば豊年、減っていれば凶年になるのでござる。これを『児玉石神事(こだまいし・しんじ)』と呼んでおりまする。毎年1月7日に、宮司(ぐうじ)が読み上げ、神職と氏子(うじこ)が『正』の字を記していく形でおこなわれまする。」
トッティ「な・・・なるほど・・・。うん。では、そろそろ、我(われ)らは東国へ・・・。」
カシマ「叔父上! 嘘(うそ)を言ってはなりませぬぞ!」
イオ「なっ! 何が、嘘なのじゃ?!」
カシマ「社伝を見てみると、紀元前199年、皇紀462年(孝元天皇16)4月16日に創建されたと書かれておりまするぞ? 八代目の御世ですぞ? それに、最初の鎮座地(ちんざち)も、東条の岩沢(いわさわ)地区となっておりまするが?」
イオ「い・・・いや、まあ、諸説有って、我(われ)が建てたとも言われておるのじゃ。」
カシマ「まことを申せば、作者が、忘れていただけではありませぬか?」
イオ「そ・・・そのようなこと・・・。あっ! そうじゃ! 勾玉の個数は、時代と共に増えておるぞ。西暦1230年、皇紀1890年(寛喜2)の洪水で、社殿が大破し流出したので、大石五個、中石七個、小石九個の合計二十一個になったのじゃ。ちなみに、鎮座地も、この時、移ったぞ。」
つっくん「増えてねぇんだけど・・・。逆に、減ってるってばさ!」
イオ「い・・・いや、ここからが、盛り上がるところぞ? その後、西暦1626年(寛永3)に292個。西暦1857年(安政4)に692個。西暦1929年(昭和4)に762個。西暦1978年(昭和53)に784個。西暦2011年(平成23)に827個と、年々、増えておるのじゃ。」
トッティ「そ・・・そうか。うん。増えているということで、そろそろ行くっぺよ!」
こうして、ようやく「トッティ」は「イオ」から解放されたのであった。
つづく
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