航西日記(23)
著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫
慶応三年三月四日(1867年4月8日)
晴。フランス、マルセーユ。
学校視察の御供をした。
舎密学(化学)試験所で、種々の製薬法や新発明の顕微鏡を見る。
それから修学所や会食所、生徒部屋などを見る。
いずれも清潔で、規則に沿って、よく整頓されている。
生徒約五百人が寄宿しているとのことである。
この生徒の寄宿中の費用は、修学衣食その他いっさいの雑費すべて、年に九百フランほどで足るという。
そのわけは、富有の者が合力して、別の助成のための基金があるからという。
慶応三年三月六日(1867年4月10日)
晴。フランス、マルセーユ。
午前十一時半、汽車に乗り、夕方七時、リヨンに到着した。
欧州館というホテルに投宿した。
当地は、仏国の大都会で、パリに次ぐものである。
市街の区画や建築物も、すこぶる宏壮華麗である。
広大な製糸場、紡織場がある。
およそ西洋婦女の服飾その他の絹・紗・綾・繻子・緞子・綾羅・錦の類、みな当地の産である。
職工つねに、七、八千人、機械、建物の設備もまた、壮大であるという。
慶応三年三月七日(1867年4月11日)
晴。フランス、リヨン。
朝七時に出発。
汽車で夕方四時に、首都パリに着いた。