JW410 東国鎮定に向けて
【東国鎮定編】エピソード1 東国鎮定に向けて
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前50年、皇紀611年(崇神天皇48)4月19日から数日後。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、東国鎮定(とうごくちんてい)に向かう将が集結していた。
いわゆる出陣式である。
居並ぶ将の代表は、ミマキの息子、豊城入彦(とよきいりひこ)(以下、トッティ)である。
付き従うのは・・・。
ミマキ「して『トッティ』よ。誰を付き従いて、東国へ赴くのじゃ?」
トッティ「はい。まずは、我(われ)の息子、八綱田(やつなた)だっぺ。『つなお』と呼んで欲しいっぺ。」
つなお「大王(おおきみ)! 我(われ)は、伝承には登場しませぬが、父上の子として、大王の孫として、ここで華々しく『デビュー』致しもうした。」
ミマキ「おお! この物語において、わしの初孫となる『つなお』が、共に向かうと申すか!」
つなお「御期待くださりませ!」
ミマキ「そうか・・・。『つなお』も行ってしまうのか・・・。」
トッティ「続いて、多建借間(おお・の・たけかしま)だっぺ。『カシマ』と呼んで欲しいっぺ。」
ミマキ「だ・・・誰じゃ?」
カシマ「それがし、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)の末裔(まつえい)と言われておりまする。伝承では建借間命(たけかしま・のみこと)と記載されておりまするが、多一族の者であるということで、多建借間と名乗りもうした。」
ミマキ「神八井耳命こと『カンヤ』殿と言えば、初代、神武天皇(じんむてんのう)の皇子(みこ)・・・。たしか、その息子に、健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)こと『たつお』殿がおったな?」
カシマ「その『たつお』殿の弟に、武恵賀前(たけえかさき)という人物がおりまする。それが、それがしの父にござる。」
ミマキ「待て、待て。それでは、世代的におかしくなるではないか! 『たつお』殿は、神武天皇の御世の人物ぞ?」
カシマ「その心配には及びませぬ。エピソード84.5でも解説しておりまするが、我(わ)が伯父『たつお』殿は、『カンヤ』様の孫(三世)とか、五世孫の玄孫(やしゃご)とか、六世孫の来孫(らいそん)とか、挙句の果てには、十二世という雲孫(うんそん)の曾孫(ひまご)という説まで有りまするので・・・。」
ミマキ「しょ・・・諸説有りなのじゃな?」
するとそこに「カシマ」の弟、武諸木(たけもろき)(以下、モロキ)が乱入してきた。
モロキ「兄上! 武運長久(ぶうんちょうきょう)を祈っておりまするぞ!」
カシマ「おお! 弟よ! 祈っていてくれい!」
ミマキ「こ・・・この者も、いずれ、どこかの伝承で登場するのであろうな・・・。」
トッティ「そういうことだっぺ。まあ、今じゃねぇんだけど・・・。」
東国鎮定に向かう将は、あと何人いるのであろうか?
次回につづく
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