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JW289 いごもり祭

【疫病混乱編】エピソード41 いごもり祭


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

紀元前88年、皇紀573年(崇神天皇10)9月某日。

武埴安彦(たけはにやすひこ)(以下、安彦)の反乱は鎮圧された。

また、それに付随して、祝園神社(ほうそのじんじゃ)と和伎坐天乃夫支売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)が紹介された。

地図(祝園神社)
祝園神社(鳥居)
地図(和伎坐天乃夫支売神社)
和伎坐天乃夫支売神社(鳥居)

そして、二つの社(やしろ)でおこなわれている奇祭(きさい)について、解説がおこなわれるのであった。

解説者は下記の通り。

ヤマト軍大将の大彦(おおひこ)。

副将の和珥彦国葺(わに・の・ひこくにふく)(以下、くにお)。

ヤマトの武将、櫂子(かいこ)。

そして、山代(やましろ)のおっちゃんと兄ちゃんである。

皇室系図(大彦)
系図(和珥氏)

大彦「その名も『いごもり祭』なんだな。居籠(いごも)るという意味なんだな。」

櫂子「安彦様の怨霊が、田畑を荒れさせたゆえ、村人たちは忌(い)み籠(こも)り、安彦様の御魂(みたま)を鎮(しず)めた・・・という伝説から生まれた祭とされておりまする。」

兄ちゃん「それやったら、わてらが降伏した『我君(あぎ)』でも、同じ祭をやってるで!」

おっちゃん「和伎坐天乃夫支売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)や! 涌出宮(わきでのみや)とも呼ばれてるで!」

大彦「涌出宮の創建は、西暦766年、皇紀1426年(天平神護2)と伝わっているんだな。そのとき、森が突然、現れたことから、涌出宮と呼ばれるようになったんだな。」

くにお「奈良時代の創建? では、安彦様と、何ら関わり合いが無いのでは?」

兄ちゃん「言われてみたら、そうやなぁ。」

櫂子「されど、この奇祭、始まったのが奈良時代と言われておりまするので、同じ地域の風習として、共に祭りをおこなうようになったのでは?」

大彦「そうだと思うんだな。」

櫂子「ちなみに、音無しの祭りとも呼ばれ、天下の奇祭とされておりまする。」

大彦「籠(こも)っている間、音を立てないようにするんだな。」

おっちゃん「せやで! 開閉の音がせぇへんように、扉は開けたままにしてたんやで。」

兄ちゃん「料理も一切せず、作り置きの精進料理を食べ、水は汲み置いてたんやで。」

櫂子「牛や馬などの家畜は、遠方の親類に預けておりもうした。」

くにお「そんなに厳しいのでござるか?!」

大彦「安心してほしいんだな。二千年後は、そこまで厳しくないんだな。」

くにお「そ・・・それで、過去形で語っておられたのですな・・・。」

おっちゃん「ほな、まずは、和伎坐天乃夫支売神社(わきにいますあめのふきめじんじゃ)の『いごもり祭』から紹介しよか!」

兄ちゃん「今度の戦(いくさ)で亡くなった人たちの霊を鎮(しず)めるために始まったとも言われてるんやで!」

くにお「なるほど・・・。安彦様だけでなく、多くの人々の御魂(みたま)を鎮める祭りなのじゃな?」

おっちゃん「せやで! それが、いつしか農耕儀礼や田植え行事と関わっていったんやろなぁ。」

櫂子「室町時代中期の文化を伝えるモノとして、民俗学者の注目を集めているようじゃな?」

兄ちゃん「せやで! この祭りは、豊作祈願や病気平癒の意味も有るんや。」

大彦「二月中旬におこなわれているんだな。周辺地域の四つの座(ざ)と呼ばれる人たちが、祭りの下準備や運営をするんだな。」

おっちゃん「せやで! 与力座、古川座、尾崎座、歩射座(びしゃざ)の四本です!」

櫂子「一日目は、夜19時30分から始まりまする。与力座の方々が、三座のもてなしをする『門(かど)の儀』をおこない、その後、境内にて大松明を燃やしまする。」

門の儀のあとの松明燃やし

大彦「二日目は、14時頃より始まるんだな。与力座の方々が、三座を招いて御馳走する『饗応(あえ)の儀』がおこなわれるんだな。そこで、種まきから田植えをまねた所作をするんだな。」

饗応の儀の田植えの所作

くにお「さ・・・三座は、二日間に渡り、もてなされておりまするが、これは、なにゆえ?」

兄ちゃん「三座のみなさんは、下準備をしてはるんですわ。大松明や注連縄(しめなわ)の材料集めに、その作成・・・。お供え用の小さい農具の作成とか・・・。」

くにお「な・・・なるほど、感謝の意も有るのじゃな・・・。」

おっちゃん「ほな、次は、祝園神社(ほうそのじんじゃ)の『いごもり祭』について解説しよか!」

兄ちゃん「祝園神社では、一月の最初の申(さる)の日から、三日間に渡っておこなわれるんやで。せやけど、一月に申の日が、三回有る時は、中の申の日になるんや。」

くにお「なにゆえじゃ?」

兄ちゃん「ロ・・・ロマンやね。」

大彦「さて、一日目は『風呂井(ふろい)の儀』がおこなわれるんだな。宮司と氏子一名が、身を清めておこなうモノで、非公開なんだな。」

風呂井
風呂井の儀

櫂子「二日目は、青竹で作られた大松明(おおたいまつ)を持ち、2㎞先の祭場へと向かう『御田(みた)の儀』がおこなわれまする。松明は、重さ70㎏も有るそうですぞ。」

御田の儀

おっちゃん「夜の19時頃から始まるんやで! 直会(なおらい)では、唐辛子入りの豆腐汁が振る舞われるんや!」

くにお「直会とは、神々の宴(うたげ)のことではないか?」

兄ちゃん「厳密に言うたら、そうやけど、参加者に振る舞われるんや! ええやないか!」

くにお「わ・・・悪いとは言っておらぬぞ!」

櫂子「三日目は、竹で邪鬼(じゃき)をかたどった綱を引く『綱曳(つなひき)の儀』がおこなわれまする。この綱に体をこすりつけると、無病息災になるそうですぞ。」

大彦「鳥居を基準として、南北の組に分かれておこなわれるんだな。」

綱曳の儀

兄ちゃん「三回おこなわれ、最初と二回目の勝敗に関わらず、三回目で勝敗が決するんやで!」

くにお「なにゆえじゃ?」

兄ちゃん「ロ・・・ロマンやね。」

櫂子「この綱曳の勝敗で、その年が豊作か、凶作か占われておりまする。」

おっちゃん「そして、綱曳が終わると、勝った組は、綱を『いずもり』まで運んで、燃やすんや。」

大彦「いずもり?」

おっちゃん「安彦様が斬首(ざんしゅ)されたところや・・・(´;ω;`)ウッ…。」

大彦「なっ!? 斬首!?」

地図(いずもり)
いずもり(近景)

驚く大彦。

解説はつづく

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