JW374 四道将軍帰還
【崇神改革編】エピソード1 四道将軍帰還
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
すなわち、紀元前87年、皇紀574年(崇神天皇11)4月28日。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
四道将軍(しどうしょうぐん)が、全員帰還した。
そして、崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)に報告をおこなうのであった。
ミマキ「久々の登場じゃ。エピソード293以来かぁぁ。」
ここで、大臣(おおおみ)の物部伊香色雄(もののべ・の・いかがしこお)(以下、ガーシー)が、口を挟む。
ガーシー「紀元前88年、皇紀573年(崇神天皇10)10月22日に出立(しゅったつ)しましたんで、だいたい半年やなぁ。」
ミマキ「半年とは思えぬ・・・。」
ガーシー「ほな、紹介した順番通りに、報告してもらおか・・・。」
イマス「では、丹波(たにわ)について、奏上(そうじょう)申し上げまする。丹波を治める、陸耳御笠(くがみみのみかさ)を討ち取り、つつがなく平定致しもうした。出雲(いずも)にも赴き、丹波平定がこと、申し伝えもうした。」
ミマキ「それだけでは有るまい? 汝(なれ)の息子、丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)こと『ミッチー』が、妻を迎えたとか?」
ミッチー「左様にござりまする。河上摩須郎女(かわかみのます・のいらつめ)こと『マス子』を妻に迎えもうした。」
大彦「では、次は、それがし、なんだな。北陸も、つつがなく平定したんだな。大王(おおきみ)の息子、大入杵(おおいりき)こと『リキ』は、能登(のと:現在の石川県北部)に留まったんだな。」
ミマキ「して、伯父上は、妻を迎えただけでなく、子まで儲(もう)けられたのでござるか?」
大彦「ち・・・違うんだな。この子は、得彦(えひこ)といって、拾ったんだな。」
得彦「うあう。あわう。」
ミマキ「拾った? 捨て子にござるか?」
大彦「そうなんだな。得彦は、のちに、宿禰(すくね)となり、難波氏(なにわ・し)の祖となるんだな。」
カーケ「では、次は、それがしの番だぜ! それがしの息子、武川別(たけかわわけ)こと『ジュニア』は、大滝神社(おおたきじんじゃ)を祀(まつ)るため、甲斐(かい:現在の山梨県)に留まったんだぜ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ミマキ「カーケよ。子を残してきたこと、察(さっ)するに余りあるぞ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ガーシー「二人とも! 泣いてる場合や、有りまへんで!」
芹彦「次は、それがしじゃな・・・。温羅(うら)を討ち取ったぞ! そして、吉備中山(きびのなかやま)に吉備津宮(きびつみや)を建てて住まうことにした! 称号も得たぞ! 吉備津彦(きびつひこ)じゃ!」
四道将軍の報告はつづく。
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