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子どもがいない私だが、子育てが少し楽になる心構えをシミュレーションしてみる。

我が家には子どもがいない。

妻は絶賛不妊治療の真っ最中で、先日は先進医療である「二段階胚移植」をおこなった。が、着床することはなかった。今回が5回目の移植だったが、ここまで来るともはや夫婦ともども晴れやかな気持ちになってくる。晴れやかを通り越して健やかですらある。


私と妻と不妊治療については、
以前こちらの記事でご紹介した。


我が家には子どもがいないのだが、あらかじめ子育ての心構えを考えてみる。子どもが我が家に来るかどうかは分からないけど。


先日、街ゆくお母さんと子どもを見ていて、こんな会話が繰り広げられているシーンを目撃した。

子どもは4歳くらいの男の子で、お母さんと2人で札幌駅のステラプレイスという駅ビル内を歩いていた。私はその後ろを一人で歩いていた構図。お母さんはその子に烈火の如く叫んだ。



「何回言えばわかるの!!!あちこち触らない約束でしょ!いい加減にして!!!」



私は思った。



(わっ、厳しいな)


その子は確かに壁や手すりを触りながら歩いていた。新型コロナの感染だとかも心配だから、お母さんとしてはその子を思う一心でそう言っているんだと思う。取り返しがつかないことになるからだ。わが子を守る一心だろう。


でも思った。


(そ、そんな厳しく言わなくてもいいのに…)



私は子育てをしたことがないけど。


4歳くらいの男の子は、しゅんとしていたが、このように育てられたお子さんはどんな人格が形成されていくんだろう、と心配になった。抑圧されている感じというか、なんというか。私は子育てをしたことがないけれど。


いや、このシーンだけを切り取っちゃっているからそう見えるだけで、もしかすると家の中では全然違うかもしれない。お母さんは息子を心から褒めてのびのびと育てているかもしれない。

ただ、このシーンを見た私は「うーーむ」なんて思ってしまったのもまた事実である。男性と女性の考え方、脳の構造的な違いもあるかもしれない。


どうしたら子どもにイライラしないんだろうなぁ、と考えてみる。子育てをしたこともないくせに考えてみる。イライラしない方法、心構え。シミュレーションは自由だから。



結論は、

子育ては相手が「自然」だと思えば、
イライラしなさそうな予感がする。


台風が来て、雲に八つ当たりする人はいない。壊れた家を保険か何かを使って補修すればいい。洪水が来て、水に八つ当たりする人もいない。誰かに協力してもらって直せばいい。干ばつが起きて太陽に八つ当たりする人もいない。雨乞いでもなんでも、出来ることをすればいい。いや、八つ当たりはするか。


自然はコントロール出来ない。コントロール出来ないものに腹を立てても仕方がない。


同様に「子ども=自然」だと思えたならば、コントロールしようとしなくなりそうな気もする。コントロール出来ないまでも、備えておくことはできる。 

台風に備えて窓に板を張ったり、洪水に備えて堤防を強化したり、干ばつに備えて水を備蓄したりするように。

「子ども=自然」だと思えれば、幾分か楽になるんじゃないか。


罪を憎んで人を憎まず、ではないが、起こっている事象に対処することだけを考えればいい気がする。人道に反しない限り、その行為を咎めることもしない。やってはいけないことを教えておく、だとか。


いやなぁ、でもなぁ、そんな簡単なことではないか。子どもの場合「命」が絡んでくるからなぁ。



「お前、子育てやったことねーだろ!」

「そんな理想論をほざくなボケ!」

「夜泣きを体験して同じことが言えるか?」

「子ども=自然だと?あん?」




ごめんなさい。
絶対に無理なんだろうなぁ。
コントロールしたいもんなぁ、きっと。
健やかに育ってほしいもんなぁ、絶対。



子どもが仮に生まれたとして、同じことが言えるかどうか試してみたい気もする。けどこればかりは授かりものだからなんとも言えないね。




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