プライベートとビジネスの要素を洗い出して振り分ける、という基軸をつくる
世の中的にはクリスマスですね。
街に出ればイルミネーションが輝き、各所で賑やかな喧騒が響き渡り、まるでコロナ前に戻ったかのような、活気あふれる光景。
…まあ、私は一人で引きこもって、溜まっているタスクを消化する一日でしたが…。
(ノД`)・゜・。
べ、別に寂しくなんかないんだからねっ‼(T_T)←ツンデレ風
さて、あなたは日常生活に満足していますか?
クリスマスのようなイベントを、プライベートのささやかな刺激として楽しまれていますか?
それは、どの程度の満足感をあなたに与えてくれますか?
また、仕事は毎日おつらいですか?
ストレスの降りかかる厄災のようなものですか?
そして、あなたにとってのライフワークバランスとは、どこに軸を置く概念ですか?
ということで、今回は「公私混同」ならぬ「公私反転」的な視点について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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今さらですが「ワークライフバランス」について考えてみましょう。
仕事と生活の調和(ワークライフバランス)が実現した社会とは、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会」である。
これは、下記の内閣府のホームページからの引用です。
「ワークライフバランス」を語るとき、一部では「仕事に生活の重点を支配されている日常からの逸脱」を謳うモノもありますが、政府の公式発表を改めて見てみると、推奨しているのが「社会性の見直し」ではないかと私には感じました。
過去の記事でもよく書くのですが、私たちは自覚している以上に言葉に踊らされる傾向にあると思います。
そして、言葉以上に言葉の意味を拡大解釈しようともします。
結果として、これらのバイアスが新たなストレッサーとなり、私たちの生活に影を落としているのではないでしょうか?
新しい言葉や考え方が登場し注目されるたびに、私たちは何度も生活を見直すこととなり、豊かな暮らしを求めるがゆえに情報に振り回されていると私は感じています。
「仕事と生活の調和」とは、ヤジロベーや天秤のような二極的な概念ではない。
まずは、そこから考えてみましょう。
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私たちは「バランス」というと、つい天秤のような形状を想起してしまうのではないでしょうか?
今回のテーマで言えば「仕事(ワーク)」と「生活(ライフ)」を天秤皿に載せて考えていませんか?ということを訴えたいのです。
素朴な疑問なのですが、あなたは仕事と生活を明確に切り分けられますか?
それは、どのような基準で切り分けたものですか?
…私にとって、両者の境界は非常に曖昧で混沌としています。
そのようなものを天秤にかけようとすること自体が、不可能なのではないでしょうか?
今回のテーマの肝は、仕事と生活の両者をさらに細かな要素に切り分けてみませんか?というものです。
私たちの人生は、決して二者択一や両天秤といった概念だけではなく、もっと複雑で多角的なものだと思うからです。
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あなたは子供用の「さるも木からおちる」という玩具をご存知でしょうか?
…「ぐらぐらゲーム」なら分かるでしょうか?
私にとっての「ワークライフバランス」とは、これらの玩具のような全方位的なバランスを必要とするものだと考えています。
これらの玩具は、サル型やヒト型のオブジェクトを本体に載せていき、バランスを崩してオブジェクトを落としてしまった人の負け、という遊びなのですが、仮にこれらの玩具のオブジェクトが2つだけだとしたら、何ら面白みがないと思いませんか?
ここで言う「2つのオブジェクト」とは、「仕事(ワーク)」と「生活(ライフ)」のことです。
そんな遊び、つまらないですよね?
同じように、私たちの暮らしぶりを単純に「仕事(ワーク)」と「生活(ライフ)」で捉えてしまっては、生きがいややりがいなど感じないのではないか?と思うわけです。
私のような考え方は、ややリスキーなのかもしれませんが、ある程度の難易度がなければ人生はつまらないんです。
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例えば、仕事と生活を人間関係で切り分けたとします。
職場の同僚とプライベートで遊ぶ人に、この切り分けは無理ですよね?
収入の獲得の有無で切り分けられるでしょうか?
今やnoteでも、個人でkindle出版や何らかの媒体で広告収入等を得ている人がいることを考えれば、この切り分けも曖昧かもしれません。
環境が違うという切り分けはどうでしょうか?
在宅ワークや個人経営をされている人の職場環境は、生活環境と同義ではないでしょうか。
…と、両天秤では測れないことを再確認したうえで、仕事と生活の具体的な要素を洗い出してみましょう。
仕事と生活で人間関係が切り分けられないとしても、別の切り分け方は出来そうです。
年齢や親密度、第三者との関わり具合などです。
仕事でも生活でも、年齢が上の方には尊敬の念を抱きますよね?
また、偶然に友人が職場の同僚である場合には、個人という要素でも切り分けが必要なケースもありそうです。
このように「私たちという存在がどのような要素で成り立っているのか」を考えていくと、新しいワークライフバランスの基軸が見えてくると私は考えています。
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改めて、今日はクリスマスというイベントです。
普段と違う食事を食べる、あるいは友人と会う口実として、イベントは非常に有効なコンテンツです。
プライベートの充実という点で、日々の仕事が大変だからこそ、楽しみが増すものだと思います。
一方で、私のようにクリスマスであっても、普段と変わらない生活をしている人もいるでしょう。
そのような人は、どこに楽しみを見出しているのでしょう?
ある人は仕事に刺激を求め、楽しみでもあり、私生活を平坦なモノにすることでバランスを取っている人もいるでしょう。
またある人は、スマホゲームなどの仮想空間に楽しみを見出し、仕事も生活も、すべてゲームのため…といった生き方でバランスを取る人もいるでしょう。
私たちは一人ひとり価値観の違う人間です。
「仕事(ワーク)」と「生活(ライフ)」という二軸だけではなく、自分に合った要素の分解をして、はじめてバランスの取れた生き方が出来るのではないでしょうか?
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今年に入って18年ほど勤めた会社から転職をして、私は新しい「ワークライフバランス」を模索することになりました。
抽象的な表現で申し訳ないのですが、以前のバランスのとり方は「平坦であること」でした。
感情の起伏が少なく、生活の変化も少ないことで保たれていたと考えています。
しかし、転職後のバランスのとり方は「揺れ続けること」です。
留まることなく、押し寄せる変化を感じ取り対応していくことが、楽しくもあり苦しくもあるのですが、この苦楽は仕事と生活で切り分けられない、両者に存在するものです。
それを感じていることが、生きている証であり、私の存在意義を示していることだと思うのです。
最後までまとめ切ることのできないテーマでしたが、何か届くものがあれば嬉しく思います。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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