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いろいろあったけど今がある

2021年12月17日、フィリピンのセブ島に、瞬間最大風速260キロ、中心気圧が915hPaという超大型台風が上陸した。

この台風ライ(フィリピン名:オデット)はセブ島のあるフィリピン中南部の島々に壊滅的な被害をもたらした。

結果として、北半球では観測史上3番目の強さを記録した台風となり、死者は400名を超えた。

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昨年の暮れ、外資系企業でフィリピン人と仕事をしていた僕は、年明けのセブ島への渡航の準備をしていました。そんな頃、突如この衝撃的なニュースを見てしまいます。

人生初の海外就職を目前に控えていたため、とてもショックでした。そして当然、僕の渡航は延期となりました。

未曾有のウイルス被害、というよりウイルスがもたらした社会的な被害に振り回された人は多くいるでしょう。僕もその一人です。

コロナ禍により僕のフィリピン渡航は1年半以上も延期されました。内定直後は、会社に入る権利があるのに、フィリピンへ渡航ができなかったため3ヶ月以上働けない期間がありました。

そんな自宅待機という言わばニートの生活は、僕にとって人生のどん底を歩んでいる気分でした。

だからやっとフィリピンに行けるとなった頃にこのような出来事が起きてしまい、僕は運命を怨みました。ただただ怨みました。

自分の力ではどうにもできない事態に苛立ち、そして落ち込みました。

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その後、僕は配属先をセブ島から首都のマニラへ変更することを会社と交渉し、見事要望が通ることになりました。そして、1月下旬にフィリピンへ渡航しました。

やっとの思いでフィリピンに行くことができたものの、そこでの日々はまた自分にとってつらいものでした。ここでは割愛しますが、胃に穴が開くようなつらい日々の連続でした。

そんな紆余曲折があって、今僕は東欧の国・ジョージアにいます。

この1年間を振り返ると、僕の感情は大きく起伏したものです。調子が良い時と悪い時の差が大きく、とても不安定な1年間を過ごしてきました。

でもそんな日々を送ってきたからこそ、考えたことや感じたこと、学んだこともありました。

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僕は毎日、このnoteとは別にプライベートの日記を書いています。コロナ禍で自分の思いを記すために始めたもので、もう2年以上続いています。

昨日、久しぶりにこの1年間の日記をぱらぱらと眺めてみました。

日記には、つらい日々の記録が赤裸々に綴られています。読んでいるうちに懐かしい気持ちだけでなく、壁を乗り越えてきた自分への自尊心も芽生えてきました。

フィリピンへの渡航が延期になった際、僕はあまりにも落ち込んでいたため、信頼できる人何人かに電話していました。その人たちのメモを読んでみたら、ぽろりと涙が出てしまいました。

切り替えようとする意気込みも大事だけど、悲しい時はちゃんと悲しむことも大事。

人は飽きるものだから、そのうち悩むのも飽きる。次何ができるか考える。

すベての物事に後から意味がつく。自分の感情の揺れ動きを大切に。

遠くを見たくなる時ほど、目の前のことを一個ずつ一生懸命やっていく。

落ち込んでもいいけど拗ねない。自分を見放さない。絶望しない。

何か悪いことが起きるでは、と心配しても、結局起きなかったら取り越し苦労。実際悪いことが起きてからどうするか考えても大概のことは平気。

悪いことが起きるまではすべてうまくいく。

ここまでやってこれたのは自分の行動カがあったから。これからも新しいこと、わくわくすることに挑戦し続ければ、必ず希望が見えてくる。根拠はないけど大丈夫。

人生は楽しむもの。

改めて、こんな自分にこんな素敵な言葉をかけてくれてありがたい限りです。

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いろいろあって今がある。過去の経験の上に今の自分がいる。

今の僕は、収入のないフリーランスです。まだまだ将来を模索し、目の前の勉強に取り組みつつ、新たな挑戦を控えている状況でもあります。

これからも当然大きな不安が自分に襲いかかってくるでしょう。

でもそんな時、つらい出来事を乗り越えてきた自分の経験を思い出して、また再び歩き出そうと思います。

一人で挑戦するけど、一人じゃない。こんな自分でもやることやってきたから大丈夫。

冷水シャワーしか出ない今の宿での日々も、いつかは笑い話になるでしょう。


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それでは、また明日お会いしましょう!

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