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「リーダー」と「リーダーシップ」は別物

『採用基準』を読んだ感想の第2回です。

第1回:「コンサルタント」と「アドバイザー」は別物

今日の別物は、「リーダー」「リーダーシップ」です。

※これ以下の内容は、引用部分以外は、この本を読んだぼくなりの「解釈」です!


日本人はカリスマリーダーの幻想を抱きすぎ

日本の首相って、よく変わりますよね。

いまでこそ安倍さんが長いことやってますが、その前は福田さんから野田さんまで、約5年間で5人もの総理大臣が生まれています。

この要因はいろいろあると思いますが、本中ではその根本的な原因について、以下のように解説されています。

私たちは国のリーダーである総理大臣を次々と取り替えています。(中略)
その根本的な原因は、国民が成果を出せない新首相を短期間で見限ってしまう点にあります。(中略)
では私たちはなぜこんなにも早く、新首相を見限ってしまうのでしょう。
私はその理由を、国民が「トップを一人変えれば、短期間で一気に何もかもがよくなるはず」という幻想をもっているからだと考えています。
有権者の中には「たった一人で日本の窮状を根本的に変えてくれるスーパーリーダーが現れるはず、存在しているはず」という意識があるのです。

(※改行と黒字はぼくによるものです)

当時、首相が取っ替え引っ替えされていたころ、だいたい最初の支持率は高めでした。

そこからすぐに急降下するのですが......

この現象はやはり、本の著者である伊賀さんがいうように、国民が「一人のすごいリーダーが、短期間でこの状況を劇的に変えてくれるはず.....!」という期待の裏返しであったといっても、差し支えないと思います。


リーダーはひとりだけのほうがいい?

日々メディアでは、ある種の独善的な振る舞いによって、国や企業を導くリーダーが取り上げられています。

古くでいえばスティーブ・ジョブズや、いまだと孫正義さんやユニクロの柳井さんなんかの顔が思い浮かびますかね。

ひとりの頼もしいリーダーが、力強く組織を引っ張っていく感じ。

「船頭多くして船山に登る」ということわざもあるように、日本では、リーダーがいっぱいいると物事が決まらないから、リーダーはひとりであるべきだという考えが、強いのかもしれません。

ただ、この考え方に、著者は異を唱えます。

そもそも「船頭多くして船山に登る」ということわざにおける船頭を、リーダーだと解釈するのは明らかに間違っています。
ここでの船頭とは、ただ単に「自分の主張を押し通そうとする強引な人」であり、たしかにそんな人が多ければチームの成果は出ないでしょう。
(※黒字と改行はぼくによるものです)

では、逆にリーダーはたくさんいたほうがいいのでしょうか。

その答えは、「たしかにリーダーという肩書はひとり(もしくは少数)でいいかもしれないが、リーダーシップはメンバー全員に求められる」です。


リーダーシップは全員に求められる

まず、リーダーとは、単なる肩書で、たくさんある役割のひとつに過ぎません。

そして、「リーダー」はたくさんいすぎると、物事が前に進みません。

だから、最終的な責任者、決断権をもつのは、ひとり(もしくは少数)であるべきです。

ただ、「リーダーシップ」は、全員がもっているべきものです。

そして、リーダーシップとは「最終的な目的を達成するために、最適な手段はなにか、どういったことができるのか」だけを考え続けられるひとです。

社内政治的な思惑や、「自分は決められたことだけをやろう」といった無関心は、そこには存在しません。

みんながリーダーシップをもってプロジェクトに取り組めば、向くベクトルが同じなのでとても生産性の高い仕事ができます。

また、「たとえ権限がなかったとしても(リーダー自体はひとりしかいなかったとしても)、みんながリーダーシップをもっていたら(みんながそれぞれの案を持ち出し始めたら)、それこそ既出のことわざ『船頭多くして船山に登る』状態になっちゃうんじゃないの?」という懸念点もあるかもしれません。

しかし、それも問題ありません。

もし本当にみんながリーダーシップをもっているなら、リーダーシップとは「最終的な目的を達成するために、最適な手段はなにか、どういったことができるのか」について思考を巡らせているひとたいばかりなので、仮にじぶんよりも良いアイデアを他人が出したのなら、それに従うはずです。

目的は「成果を出すこと」であって、「自分の意見を通すこと」ではないのです。

最終的に、メンバーのなかで優秀なひとりが「リーダー」という役割自体は担うかもしれませんが、そのプロジェクトを成功させるためには、「リーダーシップ」はメンバー全員が持っておくべきものです。


「リーダーシップ」はこれからの時代に重要性が増す

ここまでで、リーダーとリーダーシップの違いを話してきました。

次に、「全員がリーダーシップをもつことの重要性」について、時代背景と絡めながら補強していきます。

最近、「ホモクラシ―組織」という単語をよく聞くようになりました。

ぼくもざっくりとした把握できてないですが、その特徴は組織内の上限関係がなく、フラットに横でつながる組織形態のことを指すようです。(間違ってたらゴメンナサイ!)

つまり、日本人が抱きがちな「ひとりの強烈なリーダーが、組織を動かす」といった形態は、三角ピラミッドのような構図でトップダウン形式のマネジメントには相性が良かったのかもしれませんが、いま徐々に普及しつつある「ホモクラシー組織」では、各メンバーの自律的な動きが要求されます。

合う合わないもあるので、この組織形態がどこまで世の中で浸透するかはわかりませんが、中央集権的なインターネットから分散型のブロックチェーンへの移行がはじまっているテクノロジーの風潮を鑑みても、世の中の流れとして、個人の自律的な動きが求められる(というか可能になる)ような時代になっているのかもしれません。

そして、この「各メンバーの自律的な動き」とは、まさに「メンバー総リーダーシップ保持組織」とのことです。

上から与えれた課題をただ単にこなすのではなく、自分から能動的に考えて、他者に、チームに、そして社会に価値を生み出していく。

世の中のもっと大きな動きをみても、だんだんと自分の知らない(目の届かな愛)世界が増えていってますよね。流行語大賞の自分の周りでの流行してなさに、もうビックリしなくなりましたよね。

参考:新語・流行語大賞に「そんなの流行ってないよ!」というツッコミは野暮

世界自体も、どんどんと分散化の方向へと進んでいってるのはないでしょうか。これだけ価値観の多様化した時代を、もう一元的に管理するのはとても難しいのです。

待っていても、もう誰も指示なんてしてくれません。

これからの時代、みなさんそれぞれがリーダーシップをもって、能動的にアクションを起こしていくことが必要です。


リーダーシップが大事なのはわかったけど、じゃあどうすれば身につけられるの?

ここまでの話で、リーダーシップをみんながもつことが大事なのはなんとなくわかったけど、じゃあ具体的にどうすればいいのか、ということを最後に書きます。

いきなり「リーダーシップ」という単語を持ち出されるとものすごくハードルを感じてしまいますが、著者はもっと身近なところに「リーダーシップはあるよ」と言います。

たとえば、マンションの管理組合の会合にお菓子の持ち寄りがあったとしましょう。
会合が終わり、帰り際になってもテーブルの上にはお菓子や果物が残っています。貸し会議室なので残していくわけにもいきません。
お菓子の数は全員文には足りないので、ひとつずつ分けるのも不可能です。
みんながそれらをすごく欲しがっているわけでもありません。
この時、「このお菓子、持って帰りたい人はいますか。お子さんがいらっしゃる方、どうぞお持ち帰りくださいな」と声を上げる人が、リーダーシップのあるひとです。

(※改行と太字はぼくによるものです)

どうですか、こんな身近な例でいいのなら、「ああ、なんか今日からでもできそうだな」と思えてきませんか。

「最終的な目的(=会議室にお菓子を残さない)」を遂行するために、能動的に「最適な手段、じぶんにはなにができるのか(=お子さんのいる家庭に分配する)」を考え、声をあげられるひと。

これこそが、リーダーシップの根っこの部分です。

なにも仕事場だけが、リーダーシップの発揮場所ではありません。

ぼく自身、この話をきいて、あっ、それくらい身近なところからリーダーシップは磨いていけばいいんだと、すこし救われるような気持ちになりました。

もちろん、この延長線上では、とても巨大かつ社会的インパクトもあるプロジェクトで、リーダーシップをもってチームに貢献していく、という発揮の仕方にもつながっていきます。


リーダーシップは、世の中のひと全員がもつべきスキルです。

そしてそれは、天賦の才でもなんでもなく、日々にのちょっとした意識付けで伸ばすことが可能です。

まずは身近なところからでも大丈夫です、少しずつ身につけていきましょう、リーダーシップ。



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