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「私は哲学を持たない。持った瞬間にそれに縛られてしまうから」

タイトルは、私が高校生の時(約10年前)に学校の図書館に並んでいたNumberという雑誌から目にした言葉です。オズワルド・オリヴェイラ氏(現浦和レッズ監督)がインタヴュー記事で語っていたものでありますが、特に感銘を受けたわけでもなく、むしろ理解ができませんでした。

しかし、何故か頭に引っかかっていた言葉でした。それは今になって、私のサッカー感に影響を与えています。

今回は、どのように影響されているかについて書いてみようと思います。

・『もうりさんは、どんなサッカーが好きですか?』
・「イノベーターのジレンマ」から考えてみる
・監督に哲学は必要なのか?

『もうりさんは、どんなサッカーが好きですか?』

選手と話をしていると聞かれることがあります。私は決まって、「特にないなあ。」と答えています。これが正しい答えかと問われると、どうかとは思っていますが(笑)

なぜ私がそのように答えているかというと、

サッカーの試合は自分たちだけでは行われないからです。

サッカーの試合は、味方+相手+審判で構成されます。また、グラウンド・天候・サポーターの応援の様な外部的な要素も試合に影響を及ぼします。そんなことを考えていると、「これが正しい」「これが好き」なんて偏ることができません。むしろ、対戦相手を分析し、メンバー・システム・戦術をフレキシブルに対応していくことが重要であると考えています。

ブラジルW杯の時、代表選手がよく口にしていた「自分たちのサッカー」は、諸刃の剣であって、それが弊害となり結果的にグループ予選敗退に繋がったのではないでしょうか。

「イノベーターのジレンマ」から考えてみる

サッカーの話から少しそれますが、ハーバート・ビジネススクールの教授で、クレイトン・マグレビイ・クリステンセン氏という人物がいます。彼は、企業のイノベーションについて研究している第一人者です。

彼は、市場のリーダー企業が「顧客の声」を聞き、それを的確に満たすように新機能の付与や新技術による性能開発をすることでシェアを確保する、経営者の論理的かつ的確な意思決定が、リーダーの地位を失わせる原因にもなるということを分析しています。それを、「イノベーターのジレンマ」を呼んでいます。

一時的な成功に自負心を持ってしまい、新しい技術が出てきた時に対応できなくなっている。

ということでしょう。
「自分たちのサッカー」で成功を収めたとしても、今後も必ず勝ち続けることのできる保障はありません。この様な観点から、オリヴェイラ氏の「哲学を持たない」という言葉の意味は理解することができるでしょう。

監督に哲学は必要なのか?

究極な話にはなりますが、私は必要とは思いません。固執しすぎない程度に持てばいいと思いますし、チームは監督だけのものではありません。
日本のチームによくあることで、監督の言うことは絶対であり、コーチはアシスタントでしかないということ。試合中にスタッフ間のコミュニケーション(ディスカッション)が少なく、結局監督のワンマン采配となること。

この様に、監督が哲学を持ってしまうことで、上下関係や和を尊ぶ文化を持つ日本では弊害になる可能性が大いにあります。そもそも、サッカーが日本発祥のスポーツではありませんので。

哲学が必要なのはチームであり、その哲学をどのように表現していくかが、監督の役割ではないかと考えます。

以上の様に、オリヴェイラ氏の言葉が私に直接的な影響は与えてはいませんが、日々学んできたことをフィルターに言葉を解読していくと共感でき、間接的に影響される言葉となりました。

サッカーはグローバルなスポーツであるため、日々進化を繰り返していることを考えると、サッカー後進国の日本では指導者が哲学を持ったとしても、グローバルスタンダードにフレキシブルに対応していくことが非常に重要となります。

<参考文献>


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