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自分の常識、他人の非常識。

こんにちは♬
やっと夏らしい日がやってきました。
暑いのは嫌だけど、寒いのよりはマシ、と思っているいわたです。
冬はほんとに苦手。。。


本日のタイトルは、「自分の常識、他人の非常識」です。

私がよく言ってる言葉です。
たまに結婚する友人にこの言葉を送ってます(笑)

自分が常識だと思っていることは、実は他人にとっては非常識なことである

ということです。そのまんまです。

まあ例えば細かい例で言うと、バスタオルを毎日洗うのが常識だと思っていたとしますよね。
でも、友人のAさんの家ではバスタオルは使ったあとタオル掛けに干してまた翌日再度使うのが常識だったりします。
これってよくあることじゃないですか?

夜の歯磨きはお風呂に入った時にする人、洗面所でする人、キッチンの流しでする人。
トイレを使用したあと蓋を閉める人、閉めない人。

細かく取り上げるとキリがないんですが(笑)、こういったちょっとした毎日の生活の中での常識って、他の人の家では非常識だったりすることって多々あると思うんです。


自分が常識だと思っていることが、必ずしも人にとっても常識だとは限らないということなんですよね。

テーブルマナーとかね、そういう確立されているものに関してはある程度ガイドラインがあると思うんですよ。
そういうのは広く一般に常識として認知されているものもありますが、だいたいにおいて常識っていうのはその人の価値観であることが大きいです。

人に対する評価も同じことで、「あの人ホントに常識がないよね」という会話をよく耳にしたりしますが、別の人にその人の話を聞くと「いや、あの人はホントに面白くて個性的なんだよ」という意見を聞いたりもします。

あれ?これって要はものの言い方ひとつなんだな、と思いませんか?

常識って言葉は、割と「自分寄り」の言葉なんだなあと思うのです。
自分と概念が近い人は「常識がある」、自分の概念にない人は「常識がない」というカテゴリー分けになるんですよね。

そして前述のように、時に悪意を持った使われ方をしてしまうことも確かです。


自分以外の人っていうのは、育った環境も、経験したことも、何一つ同じものはありません。
家族の中でもそうです。
子どもたちは家族以外とも接触しますし、家族以外との時間もあり、経験もあります。
だから、家族の中でも「常識」「非常識」という線引が違う場合もあります。

それを他人に理解してもらうっていうのは、他人は自分と価値観が違う、経験が違う、環境が違う、ということを意識して、そのうえで自分の価値観はこうだよ、と伝えられると「ああ、そうだよね」と納得してくれる人もいるし、「それは自分の価値観とは全く合わないよ」という人もいます。

その中で自分と価値観の同じ人や近い人を探し出し、そういう人とお付き合いするととっても自分の気持ちが楽になります。
価値観の違いを理解できない人とのお付き合いは疲れます。
でも、それを「自分と他人は違うんだ」ということを念頭に置いて相手の価値観をいいな、と思えればそれもまたお付き合いが楽しくなります。
全く違う価値観だけど、面白い人ってたくさんいますもんね。

そして価値観が違うことにイラッとしても仕方ないんですよ、

だって他人だから

自分と交わらない価値観は、取り入れなくてもいいんです。
「この人はこういう人なんだな」と思ってお付き合いすると、それも楽になりますよ♬
その人の自分と交わる価値観の部分でお付き合いすればいいんですから。

みんな違って、みんないいんです(笑)
自分が気持ちよく過ごせる方法を選択していけるといいですね。

ではまた。ばいば〜い!

トランペット奏者、作編曲家の岩田恵子と申します。 お仕事の話やトランペットの奏法などについて色々と発信していきます♬