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秦の商鞅(しょうおう)から学ぶ『法』のチカラ。その2=仕官(プレゼン)

前回の続きです。
今日は商鞅にその後とプレゼンについてです。

こんにちは。
ケイジ4世のターンです。

▼前回の記事はこちらです。

▶️そして、そして。

✅秦と商鞅

秦はその昔、『春秋五覇』に数えられる秦の基礎を築いたとされる『穆公(ぼくこう)』が没した際に多くの有能な家臣が殉死をしたため国力がその後低下していました。
それが紀元前650年くらいです。

春秋五覇とは、先に紹介した『管仲』が使えて覇者にした『桓公』をはじめとする、当時周りの国にも強い影響力を持っていて『盟主(めいしゅ)』とされた5人の国主のことです。

商鞅が秦に向かった際には『孝公(こうこう)』の時代です。

孝公に直接会いにいくわけにもいかず、まずは側近の宦官に面会を求めます。

そこで3回合わせてもらうようにお願いしています。

孝公との最初のプレゼンでは『帝の道』のことを。2回目のプレゼンでは『王の道』のことを説いたとされていますが、どちらも孝公の興味に届く事もなく、居眠りをしてしまったほどだとか。

それで不安になったのは、中継ぎをした宦官です。しかし、3回のセッティングを約束しているため、渋々3度目のセッティング。

商鞅にとって最後のプレゼンチャンス。。。

最後は前回よりもレベルを下げて、1番手の届く内容である、『覇(は)の道』について説明したところ、孝公は目の色を変えて商鞅の説明に前のめりになって聞いたほどだという事です。

✅商鞅のストーリーとプレゼン力の勝利!(仕官)

まず秦という国は、先にお話した穆公の時代に有能な人材を多く失いそれから衰退したという事実。そして穆公がそうだったように他国から有能な人材を集めるという手法の国である事。この孝公という人物もそうであり、有能な人材を集めているからこそ他国からの亡命者の面会を許してプレゼンを聞きているということ。

おそらく秦国のこと、孝公のこと、さまざまな情報を調べ上げた結果のストーリーがあり、最初のプレゼン時にその人が何を本当に求めているかを察知してストーリーを完成させたのだろうと思います。

▼当時の勢力図
キングダムの時代はには到底及ばない秦の勢力ですよね。


✅商鞅のプレゼン2(立法前)

そんなこんなで仕官の切符を掴んだ商鞅ですが、孝公の信任を得て次に進言したのは『国法の変革』です。

※ついに今回のテーマきました。

しかし、孝公は周りの批判を恐れて躊躇してしまいます。

「疑行は名なく、疑事は功なし」

商鞅はこう言って孝公を励ましたということです。

ここでいう『疑』というのは自分に自信が無くて不安なこと、信念がないこと。
そのため、成功もしなければ功績を残す事も出来ないでしょう。

ということ。

そりゃそうですよね。

旗を持って発言、指示するリーダーがどうしようか迷っていたら、誰もついていかないし、それこそ周りが不安になります。
言わされている人って確かにいますよね。
上司でも部下でも。。。

▶️そんなリーダーや人に誰がついて行くんでしょうね。


というわけで、またまた商鞅の説得に応じて国法の変革に取りかかろうとしたところ、またまた壁が立ちはだかります。


では今回はこの辺で。

次回は今回のテーマ『法』についてお話ししたいと思います。

▼歴史からシリーズをまとめています。よかったら見てみて下さい。


また。


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