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1,000回以上聞かれた「なんで移住したの」3年経っても変わらない4つの理由。

「なんで地方に移住したの?」

宮崎県都農町に移住して3年
ほぼ毎日、聞かれてるので、その数や1,000回以上になるはず。

聞いてきた人や、そのときの状況で、多少の空気を読みながらも、いろいろ答えてたら、「あれ、ホントのところどうだったっけ?」と思う節もあり。

まる3年経ったいま、あらためて自分がなんで移住したのか、初心を思い出し、これからやることにブレが出ないようにしたく振り返ってみました。

・これから移住してみたいと思ってる人
・特に、地方で起業してみたい人
・40代、50代で新たなキャリア開発を考えている人

の参考になれば嬉しいです。

最初に移住に至る直前の1年間の状況を簡潔に。

・20年ほど、創業者と共同代表でまちづくりベンチャーUDS株式会社を経営
・90億円近い売上で従業員900人ぐらいの規模
・拠点は東京、京都、沖縄、北京、上海、ソウルなど
・創業者と、経営は若い人がやったほうがいいと合意
・バトンタッチできる後継者を決め、1年かけて引き継ぎ

2020年3月に社長を退任、宮崎県都農町に移住&起業しました。

1.人生100年時代、第2新卒

53歳で社長を退任し晴れて自由の身になって最初に考えたこと

あと何年働くんだろう?

これまでの人生80年時代であれば、働くのは60代後半ぐらい?そうするとあと10年ちょっと。それであれば、これまでの在庫でいけそう。付き合いのあった得意先や取引先から仕事いただきながら、顧問とかアドバイザー的に

ちょっと無責任な感じ&隠居っぽくて自分には合わないなと思いました。

これからは人生100年時代。おそらく、自分は80代でもなんらかの仕事をしてたいんじゃないかと想像。

これから30年ぐらい働くのかもしれない。

ちょっと待てよ

新卒で働き始めて、いままで約30年。

ってことは、もう一回、新卒から働き出すのに近い

もう一つ頭をよぎったこと

あと10年ちょっとだったら、いままで自分が培ってきたスキルや経験値の切り売りでなんとか逃げ切れそう。

ただ、30年となると、在庫一掃しても不足!?。。

それと、ぼくなりのささやかな仕事観として、引退するときに100点だとかっこいいなと思ってます。いまがピークで、これから後進への指導とかなんとかいいながら、自分の在庫を切り売りしていくだけだと、最後は60点とか40点ぐらいになっちゃうんじゃないか。。

それはカッコ悪いなと思いました

そんなことを考え、次のキャリアのコンセプトは、
もう1回新卒からはじめる=第2新卒
となりました。

2.アウェイでまるっとリセット

第2新卒として、新しいスキルや経験値を培おうとしたとき、一番邪魔するのが、これまでの延長上でのプロジェクトやクライアント。

ぼく(というより前職の会社)の実績を信頼いただいての仕事だと、これまで通りのアウトプットが求められ、自分にとっては、新しいスキルを身につける機会が少なくなってしまいそう。

どうやら、まるっとリセットしたほうがよさそうだ。

思い返すと、ぼくが成長するときはいつもアウェイな環境でした。

東京で生まれ育ったけど、大学は関西に
20代で、新潟県上越市に家族で移住
41歳のとき、1年間、北京に常駐

わかりやすいアウェイな環境として、UDSで最後の1年間、仕事をしていた宮崎県都農町が有力候補に浮上。

毎月1回、出張で行ってはいたけど、「通う」と「住む」とは天と地ほどの差があることを、20代に上越市へ移住して実感してたので自分なりのアウェイ基準は満たせるかなと。

3.強みの元気を取り戻す

第2新卒としてまるっとリセットするとはいえ、自分の強みは伸ばしていかなければ生き残れない。53歳で強みがなかったら痛すぎる。

そう思って、強みの棚卸しをしたときに、断トツ1位は「心身ともにタフ」、わかりやすく言うと「元気」なことでした。

UDSに入社して20年間、無欠勤を誇り、鉄人と言われてました 笑。

ところが、社長継承が決まってからの1年間で、救急車2回40度超え3度人生初の体調不良に見舞われました。

精密検査しても、これといった疾患がみあたらず、緊張が緩んでの精神的なものなのかなと、素人判断。

もう一度、「心身ともに元気」を取り戻すうえで、宮崎県の温暖な気候と、大好きな海に近い都農町のくらしは最適に思えました。

実際、移住して3年間、新型コロナウイルス禍にもかかわらず一度も37度以上の発熱もなく、もちろん無欠勤。鉄人復帰いたしました 笑。

4.後世への最大遺物

最後の理由は、ぼくがもっとも理想とする生き方として尊敬している内村鑑三の『後世への最大遺物』

最近、もっとも感銘を受けた本、『冒険の書』で孫泰蔵さんの締めの章で『後世への最大遺物』が紹介されていたことに震えました。


生まれてきたからには、私はここに、ひとつの何かをのこしたいという清い欲がわいてくる。後世の人に、ほめてくれということではなく、名誉を遺したいということでもない。

自分が生まれたときよりは少しなりともよくして逝きたい。

遺すべきものとして
①お金→貯めることは難しい
②事業→並大抵のことではない
③思想→教えることもできない

どれも難しいけど、結論や完成形を遺そうと考えなければ良い

そう思って、なにもできない自分こそが、実は「勇ましく高尚なる生涯」を遺してこの世を去りたいということ。

ぼくの場合、こんなに立派なことにはならないし、勇ましくも高尚にも程遠そうですが、地方のまちづくりで、新しいことへチャレンジした痕跡を残せたら理想的だなーと思っています。

20代に上越市へ移住してから地方のまちづくりに携わらせてもらって以来、30年近く経ちます。40歳前後で立ち上げたキッザニアをきっかけに、「地方×まちづくり×教育」が、ぼくが生涯の仕事としてやりたいこと。

残念ながら、お金も、事業も、思想も遺すことはできなさそうですが、

・人口1万人の過疎地でこんなチャレンジをしてたよね
・都農町の子どもたち楽しそうだったよね

ということが起こせていたら、第2新卒としてアウェイな環境で都農町を選ばせてもらった甲斐はあるのではないかと思っています。

以上が、3年たっても変わらないぼくが都農町に移住した理由です。


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