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シェアするほどの日常じゃないけれど。〜しがない男子大学生が30日間毎日投稿を続けて感じたこと〜


僕は"〇〇ができる""〇〇だったら負けない"と胸を張れるものが一つもない。

かといって、何かを続ける精神力も何かを開拓する度胸も覚悟も持ち合わせていない。

すこし背伸びをして世の中を見渡してみれば、いろいろな場所で活躍している同世代の若者。

僕はただ、羨望の眼差しで彼らを見つめるだけ。

大学生活が終わりに近づくにつれ将来について不安に駆られるばかりだ。

大学生に、大人は言う。

「大学は親にお金を工面してもらって行っている場所。いつまでも甘えてるんじゃない。」
「自分で選んで進んだ贅沢なんだから、まじめに大学生活を送れよ。」

コロナ禍で大学に通うことが困難になってしまった大学生が増えているというニュースのコメント欄は、こんな言葉で溢れかえっていた。

確かにそうなんだろうけど。

見なければ良かったな、と思った。

僕は、いつまでも甘えたいと思っているわけでもないし、まじめに大学生活を送っていないわけでは、決してない。

大学をサボったことはないし、もちろん単位も落としたこともない。アルバイトだって、インターンだって経験してる。サークルだって、ついこの間まで頑張っていたし、資格だって頑張ってる。

けれど、そんなまじめさや頑張りは、僕が将来を不安がらない理由には、ならなかった。


🐶


noteに出会って、いろいろな考えを持っている人がいることを知った。

初めて、知った。

もちろん、日常の会話や、Twitterでの呟き、Yahooニュースのコメント欄でもいろいろな考えは飛び交っている。

そうじゃなくて、もっと長くて、もっと自分の感情が込められてて、もっとスキを追求している、そんな考え。

言葉は刃物だとばかり思っていたけれど、刃物と思えるような言葉であっても、その言葉の生まれたバッググラウンドや感情の動きを知れば、いくらかその鋭い刃が削れるのかも知れない、と学んだ。

はじめは見ているだけの時間が長かったnoteだったが、そんな考えに触れるうちに、だんだんと"自分ごと化"していった。

何の取り柄もない、しがない男子大学生だけど、僕にも何らかの考えはあって、それを表現することはできるんじゃないのか、と。


🐶


そうして、僕は日常を綴りはじめた。

最初はシェアするほどでもないと本気で思っていたけれど、書けば書くほど、いろいろな思いが溢れてくる。

というより、思いが溢れてしまう。

書きたいことが溢れてしまう。


自分の気がつかなかった、自分の気持ちにも気づくようになった。

それが快感となって、僕の日常は次第に輝きを増した。

見てくれる人が、コメントをくれる人が、スキをしてくれる人が、フォローしてくれる人が、いるんだと、知った。

気がつけば、毎日投稿が30日もの間続いていた。

「毎日投稿するぞ」という、強い意気込みはなかったが、それでも、続いていた。

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🐶


最近、"自分ごと化"だけしていたnoteへの想いに変化が現れてきた。

「自分の綴る日常を笑ってくれればいいな」

とか

「僕のnoteを見てすこしでも元気になってくれたらうれしいな」

と思うようになった。

そして、今、ここに宣言したいことがある。

僕は、noteという考えのプラットホームを通して、

『当たり前の日常や、くだらない毎日にこそ価値が眠っている』

ということを、

当たり前の日常やくだらない毎日が嫌になりそうな人、なってしまった人に届けていきたい

ということ。

もう、いろいろな場所で輝いている同世代を羨望の眼差しで見るのは、辞めだ。


そんな自分からは卒業しよう。



🐶


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