香港・深センの旅で得た2つ目の視点で外国人との壁がなくなった
こんにちは!あいでんです。
今日からついに(私の)後期の授業が始まりました。
後期は木金だけが授業日になっているのであまり大学が始まった感がありませんでしたが、講義を受けてみるとそういう「もう卒業かあ」という気分になってきました。
という雑談。
▷はじめに
昨日に後輩が更新したnote。
伝えたい想いがシンプルかつ的確で、全てのゼミ生に読んでもらいたいと思いました。私自身、初心に戻ることができました。
ありがとうございます。
いや、そういうことだよね。そういうことなんだよ。あれだけ(客観的にみて)めんどくさいゼミ選考を突破してまで入ったゼミなのに。
この一文はずっしりくる。
あの時のみんなはもういないとは全く思わない。しかし、忘れているのか、表現するのをやめたのか、挑戦することを放棄したのか。それは僕にはわからないが、とっても寂しいことです。(本文より引用)
価値観が変わったことで方向性が変わったということもあるかもしれないけど、、、これ以上は長くなりそうなのでまた別の機会にということで。
ただこういう創P期間中に発信ができることは本当に魅力的で、文章にしたりワンクッション挟む(ブログというプラットフォーム)からこそ効力があったりすると思う。
そしてこれをT先生ではなく学生が言っているからこそ余計に身にしみたり。
本当に長くなりだしたので旅の話に戻りましょう。笑
▷第二言語は必要ないのか?
我々が訪れたのは香港・深セン。
当然ながら”日本語”が通じるわけはありません。
香港は幾分通じることもありますが、深セン(中国は全体的に?)だと日本語はおろか英語が通じにくい時もあります。
が、そんなことをもろともせず、街の青年たちがやっているバスケに加わろうとする者がいた。
そうやつだ。2留確定のボー確の彼である(このいじりそろそろ怒られるかな笑)。
バスケをするために外国人だけの輪の中に加わった友人
友人は持ち前のフレンドリーさというか人間性というか、とにかくなんか知らんけどコミュニケーション取っていました。最後には記念写真を撮影するまでに仲良くなっていた。
私にはそんな能力がないのでそういうコミュニケーションを取ることが難しい。
とは言え、大学一年生の時には中国語を履修していた私。テスト時間を間違えるという大ポカによって単位を取ることはできなかったのでそれっきりでしたが、今でも簡単な挨拶程度は覚えていました。
(中国の方に上手だと褒められて調子に乗ったことは内緒)
密にコミュニケーションを取った方々は日本語がとてもお上手な方達だったので、難なくコミュニケーションを取ることができました。
が、やはり現地の言葉(今回で言えば中国語)でしどろもどろにもコミュニケーションを取った時の方が表情も反応もよかった。
▷コミュニケーションってなんぞや
最近は Siri とか POCKETALK などによって外国語が喋れなくても生きていける(未来がくる)的な風潮があるけれども、間接的なコミュニケーションよりも直接的なコミュニケーションの方が伝わることがあるんじゃないだろうか。
それは流暢さなどとは別次元の話だと思う。
人間が話すからこそ伝わることがあるのだと感じた。
特に友人を見ていたらそう思う。
やっぱりデバイスを挟むと変に身構えてしまうし、タイムラグ的なものもある。流暢ではなくてもその誠意から生まれるものがあるのかもしれない。
友人を見ていたら言語だけがコミュニケーション手段ではないことを痛感させられるし、本質はまさにそこだと思う。
コミュニケーションにおいては言語も機械も手段でしかないのだ。
当然ながら手段は多く持っていた方がいい。
そしてできることなら自分の力で目的を達成できる方がいい。
しかし、根源的に必要になるのは相手に伝えよう(伝えたい)とする想いであり、それを実現するための誠意(行動)なのだと感じた。
▷おわりに
後輩が出したnoteについて話し過ぎてしまい、思ったよりも文字数が多くなってしまいました(笑)。
本来はもう一つの視点についても書くつもりだったのですが、流石に文字量がすごいことになるので割愛。
できれば明日でまとめたいところですが、果たしてどうなることやら。
まあ、行き当たりばったりなのはいつものことなので、また明日考えることにします。
それでは、また次回!
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